駄文

徒然草の下位互換です。

この時期のキャンパスが本当に嫌い。


この時期のキャンパスが本当に嫌い。

 

主に大学生が気持ち悪い。

 

まず、東京大学の進級や進振りに関する仕組みを簡単に説明することにしよう。

 

東京大学は入学時全員が「前期教養学部」というところに属している。

そして2年生前期までのそこでの総合成績と本人の希望によって3年生からの学部が振り分けられる。これが「進振り」と呼ばれる制度だ。

 

前期教養から学部に振り分けられた東大生はそこで新たな大学生活をリスタートすると言ってもいい。

 

まず前提として、我が農学部は弥生キャンパスという農学部専用のキャンパスに属している。つまり、このキャンパスにいるのはほとんどが農学部生である。

 

そして、農学部は望んで入った者や前期教養での成績が優秀な人も中にはいるが、成績が悪く結果的に流れついたという者が非常に多い学部でもある。私もその1人だ。

 

そのようなならず者だらけの専用のキャンパスだ。治安も推して知るべし。

 

つい最近でもこんな事件があった。

 

 

そしてこのような制度が、大きく環境の変わった1年生の時の大学デビュー失敗の反省を生かし、キャンパスを新たにした大学2年生半ばにしてスタートダッシュをキメようとするもこけまくってる痛い奴のオンパレードを生み出している。地獄。

 

まず、ざっと教室を見回してみると授業中に帽子を被ってる眼鏡モブが視界に入ってくる。"ワル"の演出に必死かよ。いや授業中に帽子を被ってる時点でだいぶ態度は悪いけども。絶対根は良い奴の顔してんじゃんお前。

 

そして、先日隣に座ってたのがこれまた授業中に舌打ちしまくる奴。どうやらfps系のゲームをしているらしい。そこで気性の荒さを一生懸命アピールしようとするなよ気色悪い。

 

どうも、彼らの中ではいかに授業中にハメを外すか(外せてないが)でポイントがたまり、高得点であればあるほど"一味違う東大生"となることができてヒエラルキーが決定すると思い込んでるっぽい。気持ち悪い。

 

常に男を複数人連れてる女、そして女といる自分イケてるアピールの激しい男。浪人時代の予備校で男子校出身の男が共学出身オタクキラー女に群がってた構図をふと思い出す。大学1年生においてもしばしば見られる光景だが、こんなのが大学2年生になってもまだいるのだから驚きだ。やめてくれ。女と会話を交わすたびに周りを見渡すな。誰もお前を見てないから。いや俺も含めて何人かは見てるけどそれは好奇の視線だ。

 

教室で群れて騒いでる大学デビュー集団。よくよく話を聞いてみるとビックリするぐらい話がつまらない。そして笑っている集団のモブ。サクラか?話のつまらなさを声の大きさで補填しようとするなよ。

 

そして外せないのが最大勢力である運動会の部活に所属してる集団。部活のジャージっぽいのを着ているので一目瞭然。

自分も東大の運動会に属していた身でこんなことを言いたくないのだが、やっぱり東大で運動会に属している人間はどこかキモいのが多い。よく教室の後ろの方でたむろしている。ほぼ確実に複数人で行動を共にしている。ひとりでじょうずにじゅぎょうもうけられないのか?

こいつらの声のデカさはそりゃもう部活で鍛え上げられた声量で他の追随を許さない。声のデカさが権威に直結してると思い込んでそう。

 

 

一方私は当然授業中に帽子を被ることも舌打ちもしない。

ほとんどの授業をボッチ受講しているためそもそも授業中に会話をするという選択肢すら存在しない。騒ぎようがない。

態度は非常に良い。格が違う。悲しいね。

 

 

というかこうして書いてみると私が嫌いなのはこの時期の大学のキャンパスというより大学生一般な気がしてきた。

 

 

結論:大学生は最悪です。 

 

 

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チェン (@physics_1090) on Twitter

吉祥寺には吉祥寺どんぶりという伝説の店がある。

 
 
 
 
 
 
 
吉祥寺には吉祥寺どんぶりという伝説の店がある。
 
 
 
吉祥寺には吉祥寺どんぶりという伝説の店がある。
 
 
 
大切なことなので2回言った。
 
 
 
 
まさか平成の日本に生きて尚、吉祥寺どんぶりの存在を知らない不届きもの(お前は何のために生きているんだ?)がいるとは到底思えないが、世の中には信じられないほど常識を欠いた人間がいることも知っているので一応説明しておこう。
 
 
 
まさか説明しなくても分かってるよ、という読者の声が書いている今でさえ大量に聞こえてくるが、ご容赦願いたい。決して読者のことをバカにしているわけではないのだ。
 
 
 
 
ただ、万が一にもいるかもしれない(いや、さすがにいないと信じたいが)吉祥寺どんぶりの存在を知らない人(いるはずはない)にも門戸を広く開放してやろう。というより、吉祥寺どんぶりを知らずに生きる人生の羅針盤を失った者(本当に存在するのか?)に指針を示してあげようという救いの手を差し伸べるのが目的である。これは、慈愛の記事だ。
 
 
 
 
一言で言うと、吉祥寺どんぶりは聖域〜サンクチュアリ〜であり、富と権力の象徴であり、日本の中枢であり、世界中の運気はここから湧き出て分配されているとも言われている。
 
 
いわゆる成功者と呼ばれる人や、世界中の首脳を始めとした権力者は皆こぞってここに通い詰めている。
 
 
 
豊田市は株式会社トヨタの本社があることから豊田市となったのは皆さんご存知だろうか?
 
 
同じことである。
 
 
 
吉祥寺どんぶりが存在することからその地域一帯を"吉祥寺"と呼称するようになったと言われている。
 
 
 
 
 
一つの小さな飲食店が持つには絶大過ぎる影響力。
 
 
 
 
 
 
私は大学の寮に住んでいた2年間、帰路にあったここにとにかく通った。この2年間で吉祥寺どんぶりに通った回数なら誰にも負けないと言い切れる自信がある。当然全てのメニューを食した。これは私の誇りである。
 
 
 
 
否、違う。
 
 
 
吉祥寺どんぶりに"通った"のではない。
吉祥寺どんぶりに"礼拝"したのだ。
 
 
私はあまりにも失礼だった。訂正しよう。
 
 
 
吉祥寺どんぶりの効能は凄まじく、私はここに礼拝し始めて運気が急上昇、年収は瞬く間に5兆円を超え、身長はみるみる伸びて3mに到達、ベンチプレスで1200kgを差し、IQは400まで上昇、突如この世の全てを見通せるようになり、スタンドも出せるようになった。
 
 
これはメニューの一部だ。
 
 
 

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これはチーズ豚カルビ丼にマヨネーズをトッピングしたもの。

カルビにチーズ、そしてマヨネーズ、当然、美味いし美味くないわけがない。
 

 

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 これは夏季限定のメニュー、冷しゃぶ丼。我々人類は、吉祥寺どんぶりの冷しゃぶ丼を食べて初めて夏を実感する。歌人がしばしば季語に冷しゃぶ丼を用いた和歌を詠み、古くは万葉集にも掲載されている。

 
 

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これはかつて無敵を誇った伝説のメニュー、ネギ塩カルビ丼。牛肉価格の高騰によりメニューから無くなってしまった。盛者必衰の理。

 

 

 

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 これは去年突如として出現したネギ塩牛タンガーリックチャーハン。ガーリックチャーハンの上にネギ塩牛タンを乗せた一品。最早、ここまで行くと危険である。あまりにも美味過ぎる。死人が出かねない。早急に販売を止めるべき。

 
 
素晴らしい景色だ。
 
 
 
世界中のどこに行ってもこれより美しい光景を見ることは叶わないだろうと、皆さんも本能で直感しただろう。言わなくてもそれぐらいはわかる。
 
 
これらを目の前にした人間の持つ感想はただ一つ。
 
 
 
 
「"頂"を見た」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今日は中間テストを終え、現在はバイトから帰っている途中だ。
 
 
引っ越してしまい帰路に吉祥寺どんぶりがなくなり、礼拝の機会もめっきり減ってしまった。
 
 
ふと、あの味を思い出してしまった。
 
 
 
そうなると体はもう言うことを聞かない。
 
 
 
体は勝手に井の頭線に乗り換え、また意識もそれを後押しする。
 
 
 
高鳴る鼓動、早まる足─────。
 
 
 
到着、慣れた手つきで食券を購入。何百回とやってきた作業だ。目隠しでもできる。
 
 
 
店員さんに食券を渡し、"吉祥寺どんぶりの学割"(注:学生のうちはこれにより肉増しか飯増しがタダになる)を提示。
 
 
 
今日は塩ニンニク丼肉飯増しだ。
 
 
この注文してから出るまでの永遠にも感じられる時間。
他の礼拝者達の顔をざっと見る。
皆、敬虔な顔つきで食事をしている。いい態度だ。今後もその姿勢を忘れるなよ。
 
 
 
 
 
 
 
そして、その"刻限(とき)"は来た─────。
 

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その"ブツ"を目にした瞬間、精神は錯乱し狂乱、マッハ3で割り箸を割り左手は脊髄からの命令で丼を持つその男、バーサーカー……!!!
 
 
およそ敬虔とは程遠い態度であるが、数ヶ月ぶりの吉祥寺どんぶりなのだ。正気を保っていられるはずもない。
 
 
脳内麻薬がドバドバ出て意識は遠のき白目を剥きながらかき込むッッッッッッッッ!
 
 
 
あまりの多幸感で薄れゆく意識の中で時間は無限へと引き伸ばされていく。ふと、この22年間の人生のダイジェストが脳内で流れ始める。そうか、これが走馬灯というやつなのか。俺はそろそろ死ぬのか─────。
 
 
 
 
 
ここからしばらくは記憶がない。
 
 
 
 
ただ、ただただ夢か現かわからぬような精神状態の中、ただ"快"だけが存在していたことを僅かに覚えている。
 
 

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気がつくと目の前にはどんぶりの亡骸があった。
 
 
 
 
 
 
─────赦そう。
 
 
 
 
 
─────私は、全てを、赦そう。
 
 
 
 
 
吉祥寺どんぶりを食べ終えた私の魂のステージはまた一段上がり、悟りの域に達していた。
 
 
 
 
吉祥寺どんぶりの美味さ、そして吉祥寺どんぶりプレイヤーとしての腕は落ちてないことを再確認し、颯爽と去る。
 
 
 
吉祥寺駅で時計を見ると、ここに到着してから20分しか経っていないことに気がつく。20分。こんな幸せな20分があっていいものなのだろうか。世界で一番密度の高い、20分。
 
 
 
 
井の頭線で腰を下ろした時、感動のあまり手は勝手にスマートフォンを取り出し気がつくと吉祥寺どんぶりの記事を書き始めていた、という次第である。
 
 
 
是非、これを読んだのを機会に足を運んで欲しい。
 
 
 
 
 
 
 
 
いや、さすがに吉祥寺どんぶりを知らない人はいないか……。
 
 
 

あなたは"イカ東"という動物をご存知だろうか。

 

 

イカ東……"いかにも東大生"の略称。

 

 

こう聞くとメガネでチェックシャツ、細身、男子校出身、コミュ障、早口、高い声、童貞といったステレオタイプの東大生を連想しがちだが、中にはここから逸脱した突然変異を起こした種族も存在する。

 

 

それでは"いかにも"東大生とは言えないではないか、という反論もあるだろう。しかし逸脱しようがそこは東大生、その所作、出で立ち振る舞い、一挙手一投足に"いかにもな東大生らしさ"が滲み出ており、結局"イカ東"の域を出るに至らなかった残念なケースも多々見られる。

 

 

今回はそういった普段あまり目を向けられないタイプのイカ東も網羅しファイリング、そしてタイプごとの特徴と彼らと対峙した際の傾向と対策を紹介していこうと思う。

 

 

こんなことを偉そうに書くんだから、さぞ書いている人はキラキラ大学生然としており、週末にはディズニー、友達との飲み会が続く日々、月に2回学科でお泊まり会、インスタのストーリーは絶えること無く女は取っ替え引っ替え、酒!タバコ!セックス!三昧みたいなスクールカーストトップに君臨する存在かと思われるかもしれないが、はっきり言おう。私は完全に"陰"の者であり、いわゆる"イカ東"である。

 

 

その"陰"さたるや、大学に行ったのにキャンパス内で声を発さない日がある、あまりにもインスタグラムに投稿することが無い日々が続いた末に1人で行ったサーティワンアイスクリームの画像を載せるなど、その実力は折り紙つきなので安心してもらいたい。

 

 

非常に警戒心が強いとされる"イカ東"の観察にあたり、むしろ同じ"イカ東"として警戒されることなく同族を間近で観察することができたため仲間内にしか見せない貴重な習性も観察することが可能であり、信頼に足るデータであると言えよう。

 

 

 

1.ステレオタイプイカ


初級編。


先ほども述べた通り、「メガネでチェックシャツ、細身、男子校出身、コミュ障、早口、高い声、童貞」と言った誰もが想像しがちな"イカ東"像の特徴に当てはまるタイプだ。私の脳内にプロファイリングされている1024PBは優に超えるイカ東に関する膨大なデータによると、凡そ83%のイカ東はここに分類される。人畜無害。


二外選択がドイツ語、ロシア語だと特に大きな割合を占める。


※二外とは「第二外国語」という意である。

 

Twitterで「同クラ女子に◯◯って言われたwww」、「同クラ女子に垢バレしたwww」等とツイートしてしまうのは、主にこのタイプであるとされている。

※同クラ女子とは「同じクラスの女子」という意である。

 

しかし悲しいかな、彼にとってはツイートで報告するに足るビッグイベントのつもりが、その同クラ女子にとってはどうでもいい些細な出来事である場合がほとんどであり、彼らの間には認識上の巨大な差異が存在するのもまた事実なのだ。

 

 

2.自己顕示イカ


その名の通り、自己顕示欲が甚だしいタイプのイカ東である。


彼らの特技は周囲に「自分わかってるアピール」をすることだ。


まずは相槌が激しいタイプ。


授業では前の方に座りがちで、教員が何か言うたびに相槌を打つ。凄まじい勢いで頷きまくる。


しかしそれだけではない。耳を澄ますと「うんうん」「あ〜」「なるほど」と言っている場合もある。凄い。凄いわかってる。


その頷きようは最早ヘッドバンギングのそれである。恐ろしい速さで上下に振り回し散らしまくってる。ドップラー効果により彼らの「うんうん」や「なるほど」といった台詞は文字に書き起こすこともできない奇声へと変貌を遂げ、超音波となって周囲の人間を混乱状態に陥れる。


あまりの速さで気圧差が生まれ小さな竜巻やかまいたちが発生することもあるので周囲の人間は距離を置こう。


また、彼らに目をつけられてしまった教員も注意が必要だ。


板書で誤字をすればすかさず彼らによる指摘が入る。そのスピードたるや、およそ常人の動体視力を遥かに超えており最悪の場合死に至る。


例え誰が見ても誤字とわかるようなものだろうとお構いなし。彼らの手にかかればその鋭い指摘で教員を破壊、自己顕示イカ東は鬼の首を取ったようにその場で胸を叩いて「自分の戦果」を周囲の人間に知らしめて威嚇を行う。

 

この"自己顕示イカ東"は人々を混乱に陥れる超音波を発しながら、目にも留まらぬ速さのヘッドバンギングによりかまいたちを生み出し周囲の人間を切り裂き、誤字を指摘しては咆哮を上げドラミングして威嚇する、多彩な攻撃方法を持つ非常に危険な戦闘民族である。


そうすることにより、彼らは己の†知†を、†力†を、誇示しようとする。


彼らの想像する自分像は恐らく「皆から羨望の眼差しを向けられる賢人」なのだろうが、主に皆が彼らに対して抱く感情は「可哀想」であることも知られており、ここにも先ほどの例と同様の大きなギャップがあるのである。


もしかすると、メタ認知ができないというのはイカ東の大きな共通点なのかもしれない。

 


3.オタク


オタク。

 

4.DQNなり損ねイカ


一番痛いタイプである上に有害。


特技は授業中に騒ぐこと。


授業中に騒ぐ東大生は100%「東大生なのに不真面目な自分(笑)」に酔っていることが知られている。

 

自分はステレオタイプイカ東になりたくない!他の東大生とは一味違うんだ!という強い思いからそこから脱却するために"不真面目アピール"をしてしまうに至った悲劇の種族。


そんなものは中学生で卒業して欲しいものだが、如何せん彼らは中高時代を真面目に過ごしてきた。そのためにこういった"痛い時期"が大学生になって遅れてやってきてしまったのだ。南無阿弥陀仏


主な活動時間は楽単と話題の授業、出現場所は大教室の後ろの方だ。

 

彼らの中でのヒエラルキーは授業中に発する声量の大きさで決定するらしく、お互いに切磋琢磨し自慢のシャウトを披露し合っている。


強大な個体は1万デシベルの音を発し教員のマイクの音をかき消し、周囲の人間を分子レベルで崩壊させ、音圧で窓ガラスは吹き飛びおよそ授業どころの騒ぎではなくなる。非常に危険な生物兵器であるため公安にマークされている。


こいつらは基本的にウェイと言われたがって日々頑張っている。もし彼らをウェイと呼ぼうものなら、ますます調子に乗って強力な個体を生み出してしまう危険性があるため絶対にやめよう。


彼らを見つけたら「中学時代の青春コンプレックスを晴らそうとしてるんだな」と優しい目で見つめてあげることが大切だ。

 


5.エセウェイイカ


某サークル、運動会の部活、二外がスペイン語やフランス語である、といった肩書きを得ただけで本人の性質は何も変わってないのに自分はウェイであると勘違いし始めるタイプ。

 

そもそも東大にウェイなど1人もいないのだ。


彼らは口を開けば女の話を始め、いかに自分が女を抱いたか、いかにして女を口説いたかを懇切丁寧に大声で発表し始める習性がある。かなりつまらない。


眉毛は整えてないのに髪色を派手にして武装したり、話はつまらないのにとにかく声量を大きくすることで場を支配しようとする人間に扮した非常に危険なマウンティングゴリラである場合もある。


彼らを見たら刺激しないよう、背を向けず両手を挙げ武器を持ってないことをアピールし、敵意が無いことを示そう。


かなりの頻度で食堂に出没する。

 

 6.奇行種


単純に奇行をするタイプ。

 

私はその日のテストを終え、清々しい気分で帰ろうとしている時だった。

 

すると、突如後ろの方から「ちょっと遠出するかな。ちょっと冒険するかー!」と巨大な叫び声が聞こえてきたのでびっくりして振り返ると、彼は誰かと一緒にいて会話の中でその台詞を発したわけではなく、通話しているわけでもなく、何と独り言だったのだ。(実話)

 

彼はそのまま著しいスピードの早歩きで颯爽と私を追い抜いていった。その背中は冒険者のそれであった。

 

これは顕著な例だが、東大のキャンパスで耳を澄ますとしばしば独り言を聞くことが出来る。これは東大キャンパス内において、風が吹いた時の木々の葉擦れ、鳥のさえずり等と混ざり合って環境音を成す役目を果たしている。

 

他にも奇行の例としては、1人で歩きながらニヤニヤしている、オタクダッシュ、大根役者の演技のような喋り方、守衛さんの挨拶をガン無視する等が見られる。

 

突然どのようなことをしでかすか予測不能なので、見つけたら距離を置くようにしよう。

 

 

7.イカ東俯瞰型イカ


イカ東を外から見てネタにし、本人は俯瞰しているつもりではあるが実は本人がイカ東という厄介なタイプ。


─────私のことだ。


ここであることに気が付いた。彼らはイカ東だが、確かに人生を謳歌している。一定数の仲間もいる。


一方で私は1人で俯瞰してこんな下らない文章を書きながらどこにも属さず蚊帳の外から見守っているだけの存在だ。


こうして振り返ってみると、東大生の生態について書いたつもりが自身のコンプレックスが噴出しただけの駄文になってしまった。

 

 


─────そうか

 

─────イカ東を分析することは

 

─────自分を見つめ直すことだったのか。

 

─────

 

─────

 

─────

 

─────完

 

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浪人の話をするとしよう。(後編)

 

physics1090.hatenablog.com

 

 

以下、徒然なるままに書いたのでまとまりの無い文章になってしまったが推敲するモチベも無いのでこのままにする。


ここからは具体的に私がどのような浪人生活を送ったかを書いていく中で浪人の”闇”を浮き彫りにしていきたいと思う。

 

 1章 浪人のメリット


浪人するにあたり、2つ目標を立てた。目標は大事だ。志の高い理想の浪人生像。
・絶対に「浪人して良かった」などと言わないこと。
・毎日腕立て伏せを100回すること。


後者については、とりあえずせっかく浪人するんだから毎日何かしらのことをしようと思ってのことだ。友達の家に泊まろうが、入試でホテル泊しようが、これだけは遵守した。


前者についてだ。
当時、自身が浪人生の身分でありながら浪人生は全員クズだと思っていた。いや、明確な目標を持ちながらそれを達成するのに計画的に事を成せなかったという点では実際にそうかもしれない。浪人生である時点でその人にはまず決定的に計画性が足りてないのだ。


そして、その”なりたくなかった”浪人生に自分がなってしまった以上、「浪人して良かった」と言ってしまうことは一種の防衛機制、自己正当化になってしまうと考えたのだ。


何と意識の高い気高き浪人生なんだろう。素晴らしい。

 

 

結論から言うと、浪人時代は最高だったと言う他無い。
メリットを上げていくとしよう。パッと思い付くだけでこれだけある。


・単位が落ちない。
いくらサボってもここでは留年の類は存在しない。浪が重なるだけの話だ。


・人間関係が希薄。
これまた私にとっては非常に居心地の良い環境だった。特に新たに友達を作ろうとするわけでもなくたまに同じ高校の人間と会う、そんな日々だった。


・1年働かずに済んだ。
親の脛を齧ることになってしまうが、それはそれ。1年働かなくて済むようになったというメリットは多少のデメリットなど目を瞑れるほどに大きい。
浪人や留年をすると生涯年収が減って〜みたいなことをぬかす輩がよくいるが、それは大間違いである。モラトリアムを伸ばし働く期間を短縮することが出来たのだ。人間は金を稼ぐために生きるわけではない。そんな資本主義が生んだ化け物は勝手に一生働いていて欲しい。

 

・模試で簡単にA判定が出る。
大学に落ちたにせよ、多少は合格に向けて勉強をしていた身だ。当たり前である。上位数千人は皆大学に入ってしまったのだ。現役生など大半が雑魚だ。決して自分の実力が上がったわけではなく母集団全体のレベルが下がっただけなのだが、恐ろしいことに自分は余裕で合格するものだと錯覚していた。

 

 

このような環境でぬくぬくと浪人をしていた。それは最高と言わざるを得ないであろう。

 

しかし、浪人も良い事尽くめではない。
多少のデメリットも勿論ある。

 



2章 Twitter


毎日生きてるのか死んでるのかもよくわからないような生活を送っていた。
浪人時代の記憶などほとんど無い。
日々を惰性で過ごしていた。


駿台に行き、教室に存在し、自習室へ行き、寝る。気が向いたら勉強をし、腹が減ったら帰宅する。
変わり映えの無い日々。
出来事が無い。
夏期講習や冬季講習も2,3個ほどしか取らなかったため授業の時間が格段に減った。その代わり、夏と冬はとにかくよく寝て過ごした。

 

本当に日々イベントが無かった。
来る日も来る日もとにかく退屈だった。


あまりにも暇過ぎて狂ったように円周率を覚えまくった時期もあった。


そんな退屈を紛らわせてくれたものがある。
Twitterだ。


現役時の入試直後、合格を確信しテンションが高かった帰りの新幹線でアカウントを作り、始めたTwitter


暇さえあればTwitterに興じる日々。浪人の1年間、Twitterだけは頑張れたと胸を張って言う事ができる。


あまりにも金太郎飴のような日々にスパイスを与えてくれるTwitter。毎日鬼の形相でタイムラインを追い、森羅万象をツイートしていた。今思えば異常である。気が狂っていた。


「今日も暑いなぁ」
そう思った次の瞬間には手元にある手のひらほどの体積を持つ直方体のデヴァイスに備え付けられた画面にその旨を書き込み”Tweet”と書かれた長方形に指を当てては、インターネットを通じて世界中に「「「今、この俺が暑いと思っている」」」という現象を発信していた。そのプロセスに自分の意思が介在することはなく、無意識的に、かつ無機的にその作業は行われた。文字通り息をするより容易く、そして一瞬でその一連の動作は行われていた。


しかし、その当時の自分としては革新的で唯一であると思われたTwitterにもノイズがあった。


そう、大学生のツイートである。
彼らはあまりにもキラキラしていた。眩しかった。直視出来なかった。


世界が、違う。


あまりにも世界が違った。Twitterを通じて目に飛び込んでくる、今の自分とはかけ離れた、同じ生物種の、同じ国籍の、同じ世代の人間であるということすら疑われる、著しく対照的な生活達。


それらはあまりにも”””生活”””だった。


「生活」とは「生きる活動」と書いて「生活」である。


今の自分は果たして「生活」していると言えるのだろうか。
死んでいないだけではないか。「生きる」という作業に能動的に取り組んでいると堂々と言えるのか。もちろん答えは「ノー」だろう。


Twitterを開けば人生を謳歌している大学生のツイート群。新居が決まった旨の報告。履修登録というものが複雑らしい。近所に美味しいお店があるらしい。こいつはもうイツメンなるものが出来たのか。サークルの新歓とやらに行くと必ず『◯◯先輩面白過ぎ😂😂😂』とツイートするよう強要されるのか……?


自分が入れなかった大学という施設は実に不思議に満ちていた。全てを知らなかった。当然だ。受かったことがないのだから。


未だ見ぬ大学という未知の世界を垣間見て、そこにいたはずの自分の虚像を思い浮かべては虚無に浸る。


しかし人間の慣れというものは凄くて、Twitterを続けていると5月頃には既に慣れていた。Twitterは戦場だ。これぐらいのことでフェードアウトしてしまうような心の弱い浪人生など、戦場では足を引っ張るだけの存在だ。強い者だけが、生き残る。結局、浪人時の入試を終えるまでTwitterをやめることは無かった。強い者だったので。

 


3章 自習室


偉いのでほぼ毎日予備校の自習室に通っていた気がするが、夏は冷房が、冬は暖房が強過ぎた。そしてしばしば轟音を立ててイビキをかいて寝ていた(らしい)ため周囲からの視線も痛い。あまりにも静か過ぎるため居心地も悪い。


そのうち自習室のあまりにも秩序立った雰囲気に耐えられなくなり、最上階にあるフロンティアホール、通称”フロホ”と呼ばれる休憩室のようなところに入り浸るようになる。ボッチで。


そこは自習室からクズを隔離するために存在すると噂される場所だったが、狭苦しく静か過ぎる自習室よりは遥かに居心地が良く、漫画を読んでようがTwitterをしてようが菓子食ってようが爆睡してようが誰にも文句を言われなかったのでこっちの方が自分にとっては極めて快適だった。


たまに騒がしかったがそこまで大きな問題では無かった。騒ぐ集団が現れるたびに「お前らなんか落ちればいい」と心の中で思いながら自分はTwitterをしていた。今思えば完全に同レベルである。否、一緒に騒げる友達がいるという点ではむしろ彼等の方に軍配が上がっていただろう。

 

4章 浪人時代の思い出

 

ふと思い出したのだが、やはり浪人生というのは人間的に問題を抱えてる人が多いような気がする。


模試の後にはクソ簡単な問題でも解法を大声で自慢してたり、模試の返却のたびに大したこともない成績を大音量で周囲の人間に聞こえるように発表したりする人間がいてとにかく耳障りだった。


印象に残っている人がいる。


毎日慶応医学部の赤本と「ハイレベル理系数学」というそこそこ難易度が高いらしい参考書を持ち歩いてた人がいた。
ただ持ち歩くだけなら別にいいのだが、何と彼は参考書群を抱える時には必ずこの2冊のうちいずれかの表紙が外側に向くようにしていた。
偶然かと思っていたが、自習室で彼を見かけると必ず机の上にこの2冊のうちいずれかが一番上に乗ってる参考書の山を机の上に築いていた。


そう、彼は自分の持っている参考書で自分のレベルを誇示しようとしていたのである。


誰であろうとどこでも志望出来るしどんな本でも持つことは可能なのに所持する本で自分を大きく見せようとしてるその必死は実に滑稽であった。


先述のフロホでTwitterをしていたら彼が真後ろに座った。ちょうど、壁に向かった席に座る私の真後ろにある円卓に彼が座ったような構図だ。


ふと見てみると、ラックを持ち出してせっせと参考書をセッティングしている。そしてその一番外側には件の2冊。彼はとうとう自己顕示に道具を使い始めていた。
一体何が、どんな環境が彼をこのような化け物にしてしまったのか。


そして慶応医学部の受験日、私はいつも通り駿台に行っていたのだがどういう訳か彼もいた。あの赤本は本当にフェイクだったというのか。

 


後日談だが、彼は当時2浪目でその後3浪目に突入したらしい。

 


そんなこんなで日々が過ぎる。

 


ある日、駿台で階段を降りていたら後ろから2人組の女の会話が聞こえてきた。
「2つ隣が『囚人』でさ〜」
ふと振り返ると、その子は私の2つ隣の窓際の席に座っていた子だった───────────────。

 


5章 勉強について

 

多少は勉強に関する話も書こう。


する勉強は9割ぐらい数学と物理に振っていた。
大学不合格という出来事は、嫌なことはやりたくないという高校以前からの性分を変えるには至らなかった。
その程度の出来事、俺という存在の前にはあまりにも些細過ぎたということだ。


しかし、この2科目だけはそれなりに頑張れたと思う。
「月刊 大学への数学」の学力コンテスト、通称「学コン」を毎月やって提出し、毎月名前が乗るようにしていた。インターネットで数学コンテストの問題を漁って解いたり数学オリンピック対策用の数論の本を買って解いたりしていた。今思えば数学はかなり精力的に勉強していたと思う。


しかし、こんな勉強をしていたので当然他の科目は酷いものだったのだがそれは後程書く。

 

 


6章 受験、そして浪人の終わり


ここまでに書いたような生活を送る浪人生がまともな成績など取れるはずがなかった。
怠惰な浪人生活がたたり、12月のマーク模試で600点台を取ってしまう。


浪人開始以来、初めて焦った。4回の東大模試では余裕でA判定を叩き出し、このまま自分は順当に受かると思っていた矢先の出来事だった。
さすがにヤバイと思い、1ヶ月ほどそれなりにセンター対策をやった気がする。


そしてセンター前日、金曜ロードショーで「天空の城ラピュタ」を見てパズーとシータに合わせて「バルス!」とツイートし、ラピュタの崩壊を見届けて寝床につきセンター当日を迎える。


センター試験会場までチャリで10分ほどだった。ギリギリまで寝て会場に向かった。


かなり近所の会場で、周囲は多少の浪人生と残りは地元の高校生達で占めていた。


センター本番はとにかく素早く解いて周りの現役生にプレッシャーをかけることを目標に、特に緊張することもなく挑むことが出来た。


結果は以下の通り。

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リスニング抜きで総合777点。

 

20分で解いて満点を確信した数1Aと受験後ですら9割を切らないと思っていた化学とそこそこ伸びたと思っていた地理が悲惨だが他の科目は順当かそれ以上といったところ。

 

特に国語では自分の実力では信じられないほどの高得点を取ることが出来た。

浪人してこの点かよと思う人も多いだろうが、マーク模試でも現役〜浪人を通して一度たりとも770点すら超えたことが無かったので許して欲しい。むしろ、健闘したと称えられて然るべきだろう。


それにしても化学62点は受け入れ難過ぎて5回ほど自己採点をやり直したのを今でも覚えている。未だに自分よりセンター化学が低いという人間に出会ったことがない。

 

まあ色々あったが総合して順調な滑り出しだったと言えるだろう。

 

 

特に何が起こるでもなくそのまま二次試験まで日々が過ぎ、当日を迎える。


受験本番はどうも緊張しない性分らしく、センターと二次試験で現役、浪人と合わせて4回受験をしたが全てリラックスして臨むことが出来た。


しかし、受験後の心境は現役時のそれとは大きく異なった。


とにかく不安で仕方がなかったのだ。一度落ちてるのだ。受かった自分の姿は微塵も想像できなかったし、落ちたらバイトを始めて予備校には通わず有料自習室に通うという具体的な2浪目のプランまで練っていた。


がしかし、めんどくさいので私大は受けず後期の勉強も1秒もしていなかった。合格発表までは、どうせ3月は遊ぶから金が必要だろうと日雇いバイトを入れまくってとにかく金を稼ぎまくっていた。


そして迎えた合格発表日。


長いようで実際長かった浪人の1年。

何もなかった1年。

ただただ虚無が支配した1年。

しかしながらとにかく楽だった1年。


この1年のことを思い浮かべながら合格発表を待つ。


例年、東大は合格発表を正午"頃"としており現役時は11:50頃の発表だった。


11:45頃から待機しurlを貼り何度も再読み込みをする。

 

─────長い。


世界一長い数分間。


自分の鼓動の音がやけに大きい。

 

思えばこの1年の浪人生活頑張れただろうか。
そんなはずはない。どう考えてもただのゴミニートの生活だった。
いや、あれはあれでお前なりに頑張ったんだ。お前の性格ではあれが限界だった、大丈夫だ胸を張れ。


無用の自問自答が繰り返される。

 

刹那、サイトが開かれる。


凄まじいスピードで脳は目から入ってきた視覚情報を処理、分析し瞬く間に合格受験番号一覧へと辿り着く。

 

 

 

 

 

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────勝利。

 

 

帝国は再建された。


暗黒の時代は過ぎ去り、帝国は活気を取り戻す。


干上がっていた大地には草が生い茂り、小鳥が戻ってきて囀る。


そこかしこで工事の音が響き渡る。臣民の声が聞こえる。

 

 


大勝利。


視界は開け、光が差し込み世界が明るくなる。


程なくして合格通知が自宅に届き、自分は本当にあの"東京大学"に合格したのだという実感が湧く。さすがは俺。不可能など存在しない。全知全能である。


Twitterで合格を報告するとエゲツない勢いでツイートが伸び、死ぬほどリプライがついた。確かに、この1年間自分はTwitterを頑張ってきたのだということを改めて思い知る。

 


これが二次試験の結果。

 

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総合350.9667点。


100点はあると思っていた数学、得意だと思っていた物理、全然勉強しなかった英語の点は多少アレだが、いざ蓋を開けてみると総合的には物理が白紙でも受かるぐらい余裕をもっての合格だった。

 

ちなみに、これが現役時のセンターと二次試験の結果である。

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酷い。

 

この成長ぶりを見ると、まあそこそこ頑張ったのではないかという気持ちにはさせてくれる。

 


エピローグ


─────あれから2年が経過し、今これを書いている私は未だに大学1年生である。

 

 

 

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浪人の話をするとしよう。(前編)

 

 
浪人。古くは己が地を離れて流浪している人、また主君を失った状態の武士のことを指した。
 
 
そして現代における浪人とは、高校卒業〜大学入学の狭間の無いはずの時空に生きる無職の人間達のことを指す。
 
 
なるほど確かに、彼らは受験戦争を勝ち抜かんとする現代の武士であり、そしてその職に就かず高校にも大学にも属さず居場所を求めて流離う様はさながら原義通りの”浪人”に忠実に従っていると言えよう。
 
 
 
 
そう、あれは何年前だったか。
 
 
東大を志したのは、確か小学校4年生ぐらいの時だっただと思う。
当時は大学と言えば広島大学東京大学しか知らず(地元が広島だったので)、なら日本一だし東京大学にしよう、みたいなそんな軽い理由からだった。
 
 
恐らくその時は自分が世界で一番頭が良いと信じて疑ってなかった時期だったと思う。
俺は世界一だ。なら、世界一たるこの俺に相応しい器は東京大学以外に存在しない。
否、東京大学が俺の器なのではない、俺こそが東京大学を総てやるに相応しい器なのだ。入学してやる、感謝するがいい、と。
 
 
それから特に何をするでもなく年月が経ち高校に入学する。
 
 
高校入学後初の模試、校内で下から何番目とかそういうところに位置していた。
気持ちは中学生のままで、課題はろくにせず、授業の予習もせず、そして教室に存在しても授業も聞かず、テスト勉強というものもせずにテストに突っ込んではクラス最低点を取るような、そんな生徒だった。当然成績も劣悪なものだった。
 
 
しかし自信は全く揺るがなかった。
動かざること山の如し。
根拠の無い自信が自分を支配していた。
 
 
高校3年生の時、4回ほど東大模試を受けた。
 
夏の2回、駿台の東大実戦はE判定、河合の東大オープン模試はD判定。いずれも、最低の判定である。
 
秋の2回、河合の東大オープン模試は夏と同じD判定で駿台の東大実戦もどうせE判定かと思いきや想定外のことが起きる。
 
そう、D判定である。
 
 
 
 
──────────勝った。
 
 
確信した。
 
 
この戦い、俺の勝ちだ。
 
ただでさえ自信がある上に最低以外の判定、”D”が下されたことで慢心はその極みに達する。
 
この時点で脳内では既に勝利のファンファーレが高らかに流れ始めていた。
目を閉じれば瞼の裏には勝ち戦から帰還し凱旋をする自分の姿が映る。
通る道の両脇には湧く民衆。片手を挙げそれに応える俺。
 
 
そう、当時の自分にとって最低以外の判定は全てA判定だったのだ。駿台東大実戦でE判定ではない、D判定をとった、この時点で100%受かると信じて疑わなかった。
 
 
何故かはわからない。わからないが恐らくその根底にあるのは「D判定の時点で一定数自分より下の人間がいる」という思想があったのだと思う。
 
 
そして迎えたセンター当日、39度の熱を出す。
朦朧とする意識の中、追試を受けるか当日受けるか迷った末に解熱剤を飲んで厚着しまくり本試を受けることを決意。
 
 
 
 
無事、死亡した。
 
 
細かい点数は覚えていないが8割ぐらいだったのは記憶している。
 
 
何なのだ、これは。
この世は俺を中心に回っているはずではなかったのか。 
これでは満足に二次試験に臨むことが出来ないどころか足切りの突破すら危ういではないか。
 
 
自身の最強神話が瓦解され、不安がよぎる。
 
 
どうするべきか。どう動くべきなのか。
この後の一手で生死が分かれる。
それまでは理科1類志望だったが流石に危うい。
ここは例年足切り点が最も低く女の子の割合が高い理科2類に志望を変えよう。
そう思い理科2類に願書を出した。
 
 
足切り発表まで戦々恐々とする日々。
東大の公式サイトではその日何人の願書を受理したかを見ることが出来る。
毎日のようにそのサイトを見ては受験生が日々増えていくのを確認し、そして大量に突然死して欲しいと常に思っていた。
 
 
そして迎えた足切り発表日。
 
 
 
 
理科2類………………足切り点無し。
 
 
 
 
 
 
 
 
──────────勝った。
 
 
 
自分が二次試験に臨めること、それは勝利を意味していた。
一応確認してみると、理科1類に出願しているとギリギリ足切りを食らっていた。天才か?俺は。ひょっとすると千里眼持ちなのかもしれない。一体幾つの才能を一身に持てば気が済むのだ、強欲に過ぎるぞこの俺は。
 
 
センターが8割?なあに、それぐらいのハンデぐらいくれてやらないと周りの人間に不公平というものだ。これでも足りないぐらいだ。十分に譲歩してやった結果だ。
 
 
センター8割で東大に受かった人間など見た事も聞いた事も無いが、この俺がその最初の人物となるだけの話よ。何も問題は無い。全てには始まりがあるのだ。
 
 
かの室伏広治は筋肉番付に出演した際、そのあまりにも突出した身体能力を以って2位を大きく突き離し断トツで1位となった。2位以降の選手とは勝負にすらならなかった。以後、室伏広治は筋肉番付を出禁になったという。彼が出演してしまえば、2位決定権となってしまうも同然なのだから。
 
 
 
同じことだ。
この有り余る才能を持て余した俺が受験という土俵に立つ事自体がタブーというものだ。オーバーキル。圧倒的とはこの様を表すために存在する言葉だろう。無慈悲ですらある。
 
 
帝国は活気に満ちていた。そう、D判定を取った時に瞼の裏に映ったあの帝国のことである。
その帝国は政治、戦、司法、治安、民、そのどれを取っても理想の国家であった。盤石とはこのこと。市場は常に賑わい全ての民に富が行き届き皆が満足いく生活を謳歌していた。
 
 
 
 
そして受験当日。東大の正門や正門付近の歩道には大量に人が押し掛けていた。メディアもいた。改めて今日は自分が主人公であることを再確認し、その実力を遺憾なく発揮してしまうことが楽しみで仕方が無かった。
周りの人間が雑魚に見える。ふん、その程度の力量か。得意の千里眼で力量を計る。俺の足元にも及ぶまい。精々励むがよい。
 
 
 
そして受験が終了する。
 
 
 
 
 
 
──────────勝った。
 
 
 
余の完全勝利である。
悠々と宮殿に戻ると合唱隊が凱歌を歌い勝利を祝っていた。
既に宴の準備は始まっている。酒池肉林。
やはり余の手にかかれば受験なんぞこんなものよ。
 
 
そう、ここまで来ると一人称は「余」になるのである。
 
 
最早「俺」ではない。そんな陳腐な一人称なぞ、圧倒的な強者たる余が使うわけがない。
 
 
 
後期や滑り止めなぞ受けるつもりは無かったので合格発表までは悠々自適に過ごした。ヴィクトリーランのようなものだ。
 
 
 
そして合格発表日。ここまで自信が揺らぐことは無かった。
PCを開き発表の正午まで待つ。直前までアニメを見ていたのを覚えている。さて、時間だ。後は自分の受験番号があることを確認するだけの簡単なお仕事。これで広島ともおさらばか寂しいな〜。引っ越しとか入学手続きとか色々忙しくなるな〜。
 
 
ではそろそろ確認するとするか。
 
 
サイトを開く。
 
 
 
さて、俺の番号はどこ─────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────
 
 
 
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。
 
 
 
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。
 
 
 
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………?
 
 
 
 
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………え?
 
 
 
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………無い?
 
 
 
 
いや、そんなはずは無い。東大は間違えて昨年度の番号を発表してしまったのだろう。時間が経てば訂正され、合格通知がレタックスで届くはずだ。お茶目な奴だ。愛嬌があるではないか。余が愛でてやるに相応しい。
 
 
そう思いつつパソコンの前から離れることが出来なかった。開いては閉じを繰り返し、自分の受験番号を改めて確認してみたりもした。
 
 
 
……………………………………………………。
 
 
 
……………………………………………………。
 
 
 
……………………………………………………。
 
 
 
……………………………………………………。
 
 
 
……………………………………………………。
 
 
 
 
なるほど。そういうことか。
どうも自分は本当に不合格らしい。
 
 
 
絶対と言われた余の帝国の終焉はあまりにも突然だった。
阿鼻叫喚の嵐。
臣民は反乱を起こした。血で血を洗うような内戦が繰り広げられ人々は恐怖に怯えた。
飢えた民は糊口を凌ぐ日々。
貨幣制度の崩壊。
機能しない司法。
暴力が物を言う世界に一変していた。
 
 
 
人は、このようにして浪人するのか。
 
 
 
 
 
 
 
 
まあよい。よいだろう。
そういうことなら浪人してやろうではないか。
特にそこまで落ち込むことも無く即立ち直ることが出来たのは努力出来なかったことの裏返しであろう。
 
 
そう、努力が出来た人間はそもそも浪人などしないのだ。
 
 
いいだろう。
底知れぬ自分の能力というのも知りたかったところだ、この先1年でじっくりと自分の能力を計ってやろうではないか。
 
 
 
帝国の再建が始まる─────。
 
 
 
 
 
 

Twitter社にTwitterやめろと言われた。

先日Twitterのアカウントを凍結された。


私の凍結されたアカウントは高3の大学入試2日目の夜に新幹線で東京から広島に帰っている途中、合格を確信してテンションが上がったノリで作ったものである。半月後に浪人が決定するのだがとりあえずここではそれは置いておく。とにかく、その日から浪人時代を共に過ごし、大学に入っても使い続け、凡そ2年半利用しフォロワーも3600人を超え、そこそこ思い入れのあるアカウントだったのだ。


これはよくよく考えてみると凄いことである。
Twitter社が顧客たるTwitterユーザーに向けて「Twitterをやめろ」と言っているのだ。コンビニに行くと突然店員に追い出された挙句、血相を変えて二度と来るなと罵声を浴びせられるようなものである。レストランに行くと何の前触れもなくシェフに囲まれて帰れ帰れの大合唱。日用品が足りないことを思い出し何気無く足を運んだホームセンターに入ると角材が飛んで来る。
お客様は神様だなどというつもりは毛頭無いが、少なくともTwitterをやめろなどと言われるほどのことをした覚えもない。


否、むしろ私はTwitterに大いに貢献したとさえ言えるであろう。
日々革新的な呟きを世に発信し、その度に世界はその様相を変えた。私の1ツイート1ツイートがこの世を刷新した。意図せずともその一挙手一投足がいちいち世界を左右してしまう。絶大な影響力。
凍結される前の私は確かに、Twitter界を、いや、世界を、牽引していた。世界は、私に牽引されていた。


手に負えない程の影響力を一個人にして手にしてしまった私に恐れをなした政府が裏で手を引いて凍結させたというのは手に取るようにわかる。出過ぎた才能というのも諸刃の剣、時には考えものである。


念のためTwitter社に確認を取ってみると「脅迫するような内容のツイートがあった」とのこと。なるほどそういう建前なのか。恐らく「殺す」とか「死ね」とかのリプが該当するのだろうが、そんなもんただの友達間の冗談だと誰にでもわかる。だがTwitter社はそんなものはお構い無し、通報されNGワードを見つけ次第片っ端から凍結させる。完全にデスクワークの人間の集まりである。現場を知らない。お前友達いないだろ。


Twitterはかつて、コロッセオであった。
「死ね」や「殺す」といった言葉は挨拶のように飛び交っていた。そのような激しい命のやり取りは日常であった。日々血で血を洗い流すような戦闘。剣闘士たるツイッタラーは目を血走らせ、獲物を探し出しては食らいつき、屠った。


確かに危険な時代であった。隙あらばそこかしこで大乱闘が起こっていた。気を抜けば命が奪われる。だが、そこには確かに拳で語り合うノンバーバルコミュニケーションが成立していた。その時代特有の温かさというものがあった。


時代は進み過ぎた。今のTwitterはただの無菌室へと成り果てている。Twitter社は危険を取り除くことに躍起になり、少しでも有害だと判断された者はその世界から摘み出された。確かに、人々の衝突は減った。しかし、そこはTwitter社に徹底的に管理されたディストピア。その世界にいる人間が思想を語ることは許されない。衝突の種となるからだ。


そこには刺激が無い。過度な言論統制
”平和”を求めた先には何が待ってるのか。

 


未来のTwitterに想いを馳せる。
すると、こんな風景が思い浮かぶ。


食事は全て完全栄養食たるカプセル。着ているものは白衣のみ。部屋は真っ白。完璧な空調システムにより温度と湿度は常に一定に保たれる室内。窓の外には完全自動操縦となった飛行型の自動車が、天を衝くような高層ビル群の間を縫うように飛び交っている。番号で呼ばれる人々。そう、この世界では個人の存在意義が無くなり名前も無いのだ。政府からその日のスケジュールが送られてくる。国民の行動は国家の中枢コンピュータにより管理されている。完全分業制。彼らは社会を構成するどの歯車かを知らされることもなく生きていく。右手に埋め込まれたチップをかざし、扉が開く。外に出る。今日も1日が始まる。

 

なるほど完璧に合理的な暮らしを実現出来ていると言えるだろう。しかし、人間性のカケラもそこには無い。

 


…あれ、Twitter関係無くね?

 

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ヘルシー志向という反動物的な志向

突然だが、皆さんは”食べること”が好きだろうか。
私は大好きである。少しでも美味しいものを少しでも多く食べたいと常日頃から思っている。常日頃はこれ以外のことを思っていないと言っても過言ではない。

 

私にとって食事の場は神聖な場である。一大イベントである。常に最高のコンディションで食事をしたいし、そのような神聖な儀式をするにあたり不快な言動や行動をしている者を見ると即鉄拳制裁である。即ジャーマン・スープレックスである。それだけ大事だと思っているし、だからこそ私も食事をする際はなるべく他人を不快にさせないよう細心の注意を払っているつもりだ。とにかく私の中で”食”は大部分を占めているということを念頭に入れて頂きたい。


人は何故、食べるのか。


現代では”食”には様々な意義がある。単純に味を楽しむため、その土地の風土を感じるため、おせちや鰻のような風習、コミュニケーションの潤滑剤として使われることもある。


しかし、何か大切なことを忘れてはいないだろうか。
─────そう、生きるため、である。


人の体は口から入れたもので出来ていて、そして人は口から入れたものからエネルギーを得て生活している。
”食”無くして人は生きることなど決して出来ないのである。


”食”における1番の意義は間違いなく生きるためであり、その他の意義は二次的なものに過ぎないのだ。”生きるため”という圧倒的大前提の前に他の全ての意義はただただ平伏す事しか出来ない。あまりにも無力。


しかし、昨今では不思議なことが起こっている。


ふと、スーパーで棚を見るとこのような文言が。


「カロリー50%オフ!!!」

 

カロリー50%”オフ”…?

 

オフ?

 

 

 

 

デメリットではないか?

 


私の解釈が正しければ「カロリー50%オフ」は「カロリーを50%減らした」という意味になる。カロリーが50%減っている。これは間違いなくデメリットではないだろうか。増えているならともかく、カロリーが減っているのだから。

 

人は、食べたものからエネルギーを得ている。
人は、カロリーに生かされている。


食べる物のカロリーが50%オフになった時、人は確かにカロリー50%分、死に近づく。
もしあらゆる食品のカロリーが50%オフになったとしたら、いつも通りのカロリーを得ようと思った時、当然だが倍の量を摂取しないといけない。これは生きる上で非常に大きなデメリットではないだろうか?


生きるための食事のカロリーをオフにするという奇妙な逆転現象が起こっているのだ。


何故、スーパーはそのようなデメリットを誇らしげに掲げるのだろうか。素直だと言えば聞こえは良いが、ただの自虐ではないか。

 


当たり前だが、食べ過ぎた人は運動をしないと太る。偏った食生活は免疫力を下げ、内臓を悪くする。健康寿命も縮むだろう。


ではどうすればいいのか。食べ過ぎなければいいのだ。
何も厳しいことなど言っていない。食べるなと言っているわけではなく、食べ”過ぎ”るなと言っているのだから。


しかし、運動したくないが食べ過ぎたい、でも健康でいたい、太りたくないといった怠惰で傲慢極まりない人がいるから、ヘルシー志向の商品にニーズが生まれるのだ。人を生かすためのカロリーを減らすという反動物的な商品が生まれるのだ。


本来の生きるためという真っ当な目的を持った食事を楽しみたい私のような人間の神聖な領域を、運動したくないが食べたい、しかも太りたくない、健康でいたいという怠惰で傲慢極まりない人間が蹂躙しているのである。


しかも、そのような人間が一定数いるからこそニーズが生まれ、カロリーオフのマヨネーズ、糖質オフの炭酸ジュース、油分カットの唐揚げといった訳のわからない商品が続々と生まれているのである。マヨネーズはカロリーを、炭酸ジュースは糖質を、唐揚げは油を、それぞれアイデンティティとして持っている。にも関わらず、愚かな人類は彼らからアイデンティティを取り上げ商品化する。


そのような商品を買わなければいいという話ではない。
確かに、世はヘルシー志向になっている。
そして、スーパーに行くとそのような商品が大量に並んでいたりする。むしろヘルシー志向の商品に重きに置き、陳列棚を見てもそれが大半を占めていて、しかもそっちの方が安いような商品もある。
レストランやコンビニのホットスナック等でそうされたらこちらとしても選ぶ手段が無い。
ここまで来ると、ヘルシー食品を選ばないようにすればいいとかそういう次元では無いのだ。狭まる選択肢。肩身が狭い。
「当店では揚げものは油分をカットする特別な調理法を採用しています!」じゃあないんだよ。カットしないでくれ。その油分も含めて私は金を払って買っている。


ここから先、このような傾向が続くと思うと怖いのだ。


私は、そのようなカロリーも油も全て含めて食べたいのだ。運動をするため。体を大きくするため。そして何より、生きるため。カロリーも油分も丸ごと愛し取り込みたいのだ。


今一度、”食”を本来の動物的な在り方に立ち返らせ、カロリーオン!糖質増量!!油分マシマシ!!!のような文字列が世の中に溢れかえることを願ってやまない。

 

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