駄文

徒然草の下位互換です。

あなたは"イカ東"という動物をご存知だろうか。

 

 

イカ東……"いかにも東大生"の略称。

 

 

こう聞くとメガネでチェックシャツ、細身、男子校出身、コミュ障、早口、高い声、童貞といったステレオタイプの東大生を連想しがちだが、中にはここから逸脱した突然変異を起こした種族も存在する。

 

 

それでは"いかにも"東大生とは言えないではないか、という反論もあるだろう。しかし逸脱しようがそこは東大生、その所作、出で立ち振る舞い、一挙手一投足に"いかにもな東大生らしさ"が滲み出ており、結局"イカ東"の域を出るに至らなかった残念なケースも多々見られる。

 

 

今回はそういった普段あまり目を向けられないタイプのイカ東も網羅しファイリング、そしてタイプごとの特徴と彼らと対峙した際の傾向と対策を紹介していこうと思う。

 

 

こんなことを偉そうに書くんだから、さぞ書いている人はキラキラ大学生然としており、週末にはディズニー、友達との飲み会が続く日々、月に2回学科でお泊まり会、インスタのストーリーは絶えること無く女は取っ替え引っ替え、酒!タバコ!セックス!三昧みたいなスクールカーストトップに君臨する存在かと思われるかもしれないが、はっきり言おう。私は完全に"陰"の者であり、いわゆる"イカ東"である。

 

 

その"陰"さたるや、大学に行ったのにキャンパス内で声を発さない日がある、あまりにもインスタグラムに投稿することが無い日々が続いた末に1人で行ったサーティワンアイスクリームの画像を載せるなど、その実力は折り紙つきなので安心してもらいたい。

 

 

非常に警戒心が強いとされる"イカ東"の観察にあたり、むしろ同じ"イカ東"として警戒されることなく同族を間近で観察することができたため仲間内にしか見せない貴重な習性も観察することが可能であり、信頼に足るデータであると言えよう。

 

 

 

1.ステレオタイプイカ


初級編。


先ほども述べた通り、「メガネでチェックシャツ、細身、男子校出身、コミュ障、早口、高い声、童貞」と言った誰もが想像しがちな"イカ東"像の特徴に当てはまるタイプだ。私の脳内にプロファイリングされている1024PBは優に超えるイカ東に関する膨大なデータによると、凡そ83%のイカ東はここに分類される。人畜無害。


二外選択がドイツ語、ロシア語だと特に大きな割合を占める。


※二外とは「第二外国語」という意である。

 

Twitterで「同クラ女子に◯◯って言われたwww」、「同クラ女子に垢バレしたwww」等とツイートしてしまうのは、主にこのタイプであるとされている。

※同クラ女子とは「同じクラスの女子」という意である。

 

しかし悲しいかな、彼にとってはツイートで報告するに足るビッグイベントのつもりが、その同クラ女子にとってはどうでもいい些細な出来事である場合がほとんどであり、彼らの間には認識上の巨大な差異が存在するのもまた事実なのだ。

 

 

2.自己顕示イカ


その名の通り、自己顕示欲が甚だしいタイプのイカ東である。


彼らの特技は周囲に「自分わかってるアピール」をすることだ。


まずは相槌が激しいタイプ。


授業では前の方に座りがちで、教員が何か言うたびに相槌を打つ。凄まじい勢いで頷きまくる。


しかしそれだけではない。耳を澄ますと「うんうん」「あ〜」「なるほど」と言っている場合もある。凄い。凄いわかってる。


その頷きようは最早ヘッドバンギングのそれである。恐ろしい速さで上下に振り回し散らしまくってる。ドップラー効果により彼らの「うんうん」や「なるほど」といった台詞は文字に書き起こすこともできない奇声へと変貌を遂げ、超音波となって周囲の人間を混乱状態に陥れる。


あまりの速さで気圧差が生まれ小さな竜巻やかまいたちが発生することもあるので周囲の人間は距離を置こう。


また、彼らに目をつけられてしまった教員も注意が必要だ。


板書で誤字をすればすかさず彼らによる指摘が入る。そのスピードたるや、およそ常人の動体視力を遥かに超えており最悪の場合死に至る。


例え誰が見ても誤字とわかるようなものだろうとお構いなし。彼らの手にかかればその鋭い指摘で教員を破壊、自己顕示イカ東は鬼の首を取ったようにその場で胸を叩いて「自分の戦果」を周囲の人間に知らしめて威嚇を行う。

 

この"自己顕示イカ東"は人々を混乱に陥れる超音波を発しながら、目にも留まらぬ速さのヘッドバンギングによりかまいたちを生み出し周囲の人間を切り裂き、誤字を指摘しては咆哮を上げドラミングして威嚇する、多彩な攻撃方法を持つ非常に危険な戦闘民族である。


そうすることにより、彼らは己の†知†を、†力†を、誇示しようとする。


彼らの想像する自分像は恐らく「皆から羨望の眼差しを向けられる賢人」なのだろうが、主に皆が彼らに対して抱く感情は「可哀想」であることも知られており、ここにも先ほどの例と同様の大きなギャップがあるのである。


もしかすると、メタ認知ができないというのはイカ東の大きな共通点なのかもしれない。

 


3.オタク


オタク。

 

4.DQNなり損ねイカ


一番痛いタイプである上に有害。


特技は授業中に騒ぐこと。


授業中に騒ぐ東大生は100%「東大生なのに不真面目な自分(笑)」に酔っていることが知られている。

 

自分はステレオタイプイカ東になりたくない!他の東大生とは一味違うんだ!という強い思いからそこから脱却するために"不真面目アピール"をしてしまうに至った悲劇の種族。


そんなものは中学生で卒業して欲しいものだが、如何せん彼らは中高時代を真面目に過ごしてきた。そのためにこういった"痛い時期"が大学生になって遅れてやってきてしまったのだ。南無阿弥陀仏


主な活動時間は楽単と話題の授業、出現場所は大教室の後ろの方だ。

 

彼らの中でのヒエラルキーは授業中に発する声量の大きさで決定するらしく、お互いに切磋琢磨し自慢のシャウトを披露し合っている。


強大な個体は1万デシベルの音を発し教員のマイクの音をかき消し、周囲の人間を分子レベルで崩壊させ、音圧で窓ガラスは吹き飛びおよそ授業どころの騒ぎではなくなる。非常に危険な生物兵器であるため公安にマークされている。


こいつらは基本的にウェイと言われたがって日々頑張っている。もし彼らをウェイと呼ぼうものなら、ますます調子に乗って強力な個体を生み出してしまう危険性があるため絶対にやめよう。


彼らを見つけたら「中学時代の青春コンプレックスを晴らそうとしてるんだな」と優しい目で見つめてあげることが大切だ。

 


5.エセウェイイカ


某サークル、運動会の部活、二外がスペイン語やフランス語である、といった肩書きを得ただけで本人の性質は何も変わってないのに自分はウェイであると勘違いし始めるタイプ。

 

そもそも東大にウェイなど1人もいないのだ。


彼らは口を開けば女の話を始め、いかに自分が女を抱いたか、いかにして女を口説いたかを懇切丁寧に大声で発表し始める習性がある。かなりつまらない。


眉毛は整えてないのに髪色を派手にして武装したり、話はつまらないのにとにかく声量を大きくすることで場を支配しようとする人間に扮した非常に危険なマウンティングゴリラである場合もある。


彼らを見たら刺激しないよう、背を向けず両手を挙げ武器を持ってないことをアピールし、敵意が無いことを示そう。


かなりの頻度で食堂に出没する。

 

 6.奇行種


単純に奇行をするタイプ。

 

私はその日のテストを終え、清々しい気分で帰ろうとしている時だった。

 

すると、突如後ろの方から「ちょっと遠出するかな。ちょっと冒険するかー!」と巨大な叫び声が聞こえてきたのでびっくりして振り返ると、彼は誰かと一緒にいて会話の中でその台詞を発したわけではなく、通話しているわけでもなく、何と独り言だったのだ。(実話)

 

彼はそのまま著しいスピードの早歩きで颯爽と私を追い抜いていった。その背中は冒険者のそれであった。

 

これは顕著な例だが、東大のキャンパスで耳を澄ますとしばしば独り言を聞くことが出来る。これは東大キャンパス内において、風が吹いた時の木々の葉擦れ、鳥のさえずり等と混ざり合って環境音を成す役目を果たしている。

 

他にも奇行の例としては、1人で歩きながらニヤニヤしている、オタクダッシュ、大根役者の演技のような喋り方、守衛さんの挨拶をガン無視する等が見られる。

 

突然どのようなことをしでかすか予測不能なので、見つけたら距離を置くようにしよう。

 

 

7.イカ東俯瞰型イカ


イカ東を外から見てネタにし、本人は俯瞰しているつもりではあるが実は本人がイカ東という厄介なタイプ。


─────私のことだ。


ここであることに気が付いた。彼らはイカ東だが、確かに人生を謳歌している。一定数の仲間もいる。


一方で私は1人で俯瞰してこんな下らない文章を書きながらどこにも属さず蚊帳の外から見守っているだけの存在だ。


こうして振り返ってみると、東大生の生態について書いたつもりが自身のコンプレックスが噴出しただけの駄文になってしまった。

 

 


─────そうか

 

─────イカ東を分析することは

 

─────自分を見つめ直すことだったのか。

 

─────

 

─────

 

─────

 

─────完

 

 Twitter

twitter.com

浪人の話をするとしよう。(後編)

 

physics1090.hatenablog.com

 

 

以下、徒然なるままに書いたのでまとまりの無い文章になってしまったが推敲するモチベも無いのでこのままにする。


ここからは具体的に私がどのような浪人生活を送ったかを書いていく中で浪人の”闇”を浮き彫りにしていきたいと思う。

 

 1章 浪人のメリット


浪人するにあたり、2つ目標を立てた。目標は大事だ。志の高い理想の浪人生像。
・絶対に「浪人して良かった」などと言わないこと。
・毎日腕立て伏せを100回すること。


後者については、とりあえずせっかく浪人するんだから毎日何かしらのことをしようと思ってのことだ。友達の家に泊まろうが、入試でホテル泊しようが、これだけは遵守した。


前者についてだ。
当時、自身が浪人生の身分でありながら浪人生は全員クズだと思っていた。いや、明確な目標を持ちながらそれを達成するのに計画的に事を成せなかったという点では実際にそうかもしれない。浪人生である時点でその人にはまず決定的に計画性が足りてないのだ。


そして、その”なりたくなかった”浪人生に自分がなってしまった以上、「浪人して良かった」と言ってしまうことは一種の防衛機制、自己正当化になってしまうと考えたのだ。


何と意識の高い気高き浪人生なんだろう。素晴らしい。

 

 

結論から言うと、浪人時代は最高だったと言う他無い。
メリットを上げていくとしよう。パッと思い付くだけでこれだけある。


・単位が落ちない。
いくらサボってもここでは留年の類は存在しない。浪が重なるだけの話だ。


・人間関係が希薄。
これまた私にとっては非常に居心地の良い環境だった。特に新たに友達を作ろうとするわけでもなくたまに同じ高校の人間と会う、そんな日々だった。


・1年働かずに済んだ。
親の脛を齧ることになってしまうが、それはそれ。1年働かなくて済むようになったというメリットは多少のデメリットなど目を瞑れるほどに大きい。
浪人や留年をすると生涯年収が減って〜みたいなことをぬかす輩がよくいるが、それは大間違いである。モラトリアムを伸ばし働く期間を短縮することが出来たのだ。人間は金を稼ぐために生きるわけではない。そんな資本主義が生んだ化け物は勝手に一生働いていて欲しい。

 

・模試で簡単にA判定が出る。
大学に落ちたにせよ、多少は合格に向けて勉強をしていた身だ。当たり前である。上位数千人は皆大学に入ってしまったのだ。現役生など大半が雑魚だ。決して自分の実力が上がったわけではなく母集団全体のレベルが下がっただけなのだが、恐ろしいことに自分は余裕で合格するものだと錯覚していた。

 

 

このような環境でぬくぬくと浪人をしていた。それは最高と言わざるを得ないであろう。

 

しかし、浪人も良い事尽くめではない。
多少のデメリットも勿論ある。

 



2章 Twitter


毎日生きてるのか死んでるのかもよくわからないような生活を送っていた。
浪人時代の記憶などほとんど無い。
日々を惰性で過ごしていた。


駿台に行き、教室に存在し、自習室へ行き、寝る。気が向いたら勉強をし、腹が減ったら帰宅する。
変わり映えの無い日々。
出来事が無い。
夏期講習や冬季講習も2,3個ほどしか取らなかったため授業の時間が格段に減った。その代わり、夏と冬はとにかくよく寝て過ごした。

 

本当に日々イベントが無かった。
来る日も来る日もとにかく退屈だった。


あまりにも暇過ぎて狂ったように円周率を覚えまくった時期もあった。


そんな退屈を紛らわせてくれたものがある。
Twitterだ。


現役時の入試直後、合格を確信しテンションが高かった帰りの新幹線でアカウントを作り、始めたTwitter


暇さえあればTwitterに興じる日々。浪人の1年間、Twitterだけは頑張れたと胸を張って言う事ができる。


あまりにも金太郎飴のような日々にスパイスを与えてくれるTwitter。毎日鬼の形相でタイムラインを追い、森羅万象をツイートしていた。今思えば異常である。気が狂っていた。


「今日も暑いなぁ」
そう思った次の瞬間には手元にある手のひらほどの体積を持つ直方体のデヴァイスに備え付けられた画面にその旨を書き込み”Tweet”と書かれた長方形に指を当てては、インターネットを通じて世界中に「「「今、この俺が暑いと思っている」」」という現象を発信していた。そのプロセスに自分の意思が介在することはなく、無意識的に、かつ無機的にその作業は行われた。文字通り息をするより容易く、そして一瞬でその一連の動作は行われていた。


しかし、その当時の自分としては革新的で唯一であると思われたTwitterにもノイズがあった。


そう、大学生のツイートである。
彼らはあまりにもキラキラしていた。眩しかった。直視出来なかった。


世界が、違う。


あまりにも世界が違った。Twitterを通じて目に飛び込んでくる、今の自分とはかけ離れた、同じ生物種の、同じ国籍の、同じ世代の人間であるということすら疑われる、著しく対照的な生活達。


それらはあまりにも”””生活”””だった。


「生活」とは「生きる活動」と書いて「生活」である。


今の自分は果たして「生活」していると言えるのだろうか。
死んでいないだけではないか。「生きる」という作業に能動的に取り組んでいると堂々と言えるのか。もちろん答えは「ノー」だろう。


Twitterを開けば人生を謳歌している大学生のツイート群。新居が決まった旨の報告。履修登録というものが複雑らしい。近所に美味しいお店があるらしい。こいつはもうイツメンなるものが出来たのか。サークルの新歓とやらに行くと必ず『◯◯先輩面白過ぎ😂😂😂』とツイートするよう強要されるのか……?


自分が入れなかった大学という施設は実に不思議に満ちていた。全てを知らなかった。当然だ。受かったことがないのだから。


未だ見ぬ大学という未知の世界を垣間見て、そこにいたはずの自分の虚像を思い浮かべては虚無に浸る。


しかし人間の慣れというものは凄くて、Twitterを続けていると5月頃には既に慣れていた。Twitterは戦場だ。これぐらいのことでフェードアウトしてしまうような心の弱い浪人生など、戦場では足を引っ張るだけの存在だ。強い者だけが、生き残る。結局、浪人時の入試を終えるまでTwitterをやめることは無かった。強い者だったので。

 


3章 自習室


偉いのでほぼ毎日予備校の自習室に通っていた気がするが、夏は冷房が、冬は暖房が強過ぎた。そしてしばしば轟音を立ててイビキをかいて寝ていた(らしい)ため周囲からの視線も痛い。あまりにも静か過ぎるため居心地も悪い。


そのうち自習室のあまりにも秩序立った雰囲気に耐えられなくなり、最上階にあるフロンティアホール、通称”フロホ”と呼ばれる休憩室のようなところに入り浸るようになる。ボッチで。


そこは自習室からクズを隔離するために存在すると噂される場所だったが、狭苦しく静か過ぎる自習室よりは遥かに居心地が良く、漫画を読んでようがTwitterをしてようが菓子食ってようが爆睡してようが誰にも文句を言われなかったのでこっちの方が自分にとっては極めて快適だった。


たまに騒がしかったがそこまで大きな問題では無かった。騒ぐ集団が現れるたびに「お前らなんか落ちればいい」と心の中で思いながら自分はTwitterをしていた。今思えば完全に同レベルである。否、一緒に騒げる友達がいるという点ではむしろ彼等の方に軍配が上がっていただろう。

 

4章 浪人時代の思い出

 

ふと思い出したのだが、やはり浪人生というのは人間的に問題を抱えてる人が多いような気がする。


模試の後にはクソ簡単な問題でも解法を大声で自慢してたり、模試の返却のたびに大したこともない成績を大音量で周囲の人間に聞こえるように発表したりする人間がいてとにかく耳障りだった。


印象に残っている人がいる。


毎日慶応医学部の赤本と「ハイレベル理系数学」というそこそこ難易度が高いらしい参考書を持ち歩いてた人がいた。
ただ持ち歩くだけなら別にいいのだが、何と彼は参考書群を抱える時には必ずこの2冊のうちいずれかの表紙が外側に向くようにしていた。
偶然かと思っていたが、自習室で彼を見かけると必ず机の上にこの2冊のうちいずれかが一番上に乗ってる参考書の山を机の上に築いていた。


そう、彼は自分の持っている参考書で自分のレベルを誇示しようとしていたのである。


誰であろうとどこでも志望出来るしどんな本でも持つことは可能なのに所持する本で自分を大きく見せようとしてるその必死は実に滑稽であった。


先述のフロホでTwitterをしていたら彼が真後ろに座った。ちょうど、壁に向かった席に座る私の真後ろにある円卓に彼が座ったような構図だ。


ふと見てみると、ラックを持ち出してせっせと参考書をセッティングしている。そしてその一番外側には件の2冊。彼はとうとう自己顕示に道具を使い始めていた。
一体何が、どんな環境が彼をこのような化け物にしてしまったのか。


そして慶応医学部の受験日、私はいつも通り駿台に行っていたのだがどういう訳か彼もいた。あの赤本は本当にフェイクだったというのか。

 


後日談だが、彼は当時2浪目でその後3浪目に突入したらしい。

 


そんなこんなで日々が過ぎる。

 


ある日、駿台で階段を降りていたら後ろから2人組の女の会話が聞こえてきた。
「2つ隣が『囚人』でさ〜」
ふと振り返ると、その子は私の2つ隣の窓際の席に座っていた子だった───────────────。

 


5章 勉強について

 

多少は勉強に関する話も書こう。


する勉強は9割ぐらい数学と物理に振っていた。
大学不合格という出来事は、嫌なことはやりたくないという高校以前からの性分を変えるには至らなかった。
その程度の出来事、俺という存在の前にはあまりにも些細過ぎたということだ。


しかし、この2科目だけはそれなりに頑張れたと思う。
「月刊 大学への数学」の学力コンテスト、通称「学コン」を毎月やって提出し、毎月名前が乗るようにしていた。インターネットで数学コンテストの問題を漁って解いたり数学オリンピック対策用の数論の本を買って解いたりしていた。今思えば数学はかなり精力的に勉強していたと思う。


しかし、こんな勉強をしていたので当然他の科目は酷いものだったのだがそれは後程書く。

 

 


6章 受験、そして浪人の終わり


ここまでに書いたような生活を送る浪人生がまともな成績など取れるはずがなかった。
怠惰な浪人生活がたたり、12月のマーク模試で600点台を取ってしまう。


浪人開始以来、初めて焦った。4回の東大模試では余裕でA判定を叩き出し、このまま自分は順当に受かると思っていた矢先の出来事だった。
さすがにヤバイと思い、1ヶ月ほどそれなりにセンター対策をやった気がする。


そしてセンター前日、金曜ロードショーで「天空の城ラピュタ」を見てパズーとシータに合わせて「バルス!」とツイートし、ラピュタの崩壊を見届けて寝床につきセンター当日を迎える。


センター試験会場までチャリで10分ほどだった。ギリギリまで寝て会場に向かった。


かなり近所の会場で、周囲は多少の浪人生と残りは地元の高校生達で占めていた。


センター本番はとにかく素早く解いて周りの現役生にプレッシャーをかけることを目標に、特に緊張することもなく挑むことが出来た。


結果は以下の通り。

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リスニング抜きで総合777点。

 

20分で解いて満点を確信した数1Aと受験後ですら9割を切らないと思っていた化学とそこそこ伸びたと思っていた地理が悲惨だが他の科目は順当かそれ以上といったところ。

 

特に国語では自分の実力では信じられないほどの高得点を取ることが出来た。

浪人してこの点かよと思う人も多いだろうが、マーク模試でも現役〜浪人を通して一度たりとも770点すら超えたことが無かったので許して欲しい。むしろ、健闘したと称えられて然るべきだろう。


それにしても化学62点は受け入れ難過ぎて5回ほど自己採点をやり直したのを今でも覚えている。未だに自分よりセンター化学が低いという人間に出会ったことがない。

 

まあ色々あったが総合して順調な滑り出しだったと言えるだろう。

 

 

特に何が起こるでもなくそのまま二次試験まで日々が過ぎ、当日を迎える。


受験本番はどうも緊張しない性分らしく、センターと二次試験で現役、浪人と合わせて4回受験をしたが全てリラックスして臨むことが出来た。


しかし、受験後の心境は現役時のそれとは大きく異なった。


とにかく不安で仕方がなかったのだ。一度落ちてるのだ。受かった自分の姿は微塵も想像できなかったし、落ちたらバイトを始めて予備校には通わず有料自習室に通うという具体的な2浪目のプランまで練っていた。


がしかし、めんどくさいので私大は受けず後期の勉強も1秒もしていなかった。合格発表までは、どうせ3月は遊ぶから金が必要だろうと日雇いバイトを入れまくってとにかく金を稼ぎまくっていた。


そして迎えた合格発表日。


長いようで実際長かった浪人の1年。

何もなかった1年。

ただただ虚無が支配した1年。

しかしながらとにかく楽だった1年。


この1年のことを思い浮かべながら合格発表を待つ。


例年、東大は合格発表を正午"頃"としており現役時は11:50頃の発表だった。


11:45頃から待機しurlを貼り何度も再読み込みをする。

 

─────長い。


世界一長い数分間。


自分の鼓動の音がやけに大きい。

 

思えばこの1年の浪人生活頑張れただろうか。
そんなはずはない。どう考えてもただのゴミニートの生活だった。
いや、あれはあれでお前なりに頑張ったんだ。お前の性格ではあれが限界だった、大丈夫だ胸を張れ。


無用の自問自答が繰り返される。

 

刹那、サイトが開かれる。


凄まじいスピードで脳は目から入ってきた視覚情報を処理、分析し瞬く間に合格受験番号一覧へと辿り着く。

 

 

 

 

 

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────勝利。

 

 

帝国は再建された。


暗黒の時代は過ぎ去り、帝国は活気を取り戻す。


干上がっていた大地には草が生い茂り、小鳥が戻ってきて囀る。


そこかしこで工事の音が響き渡る。臣民の声が聞こえる。

 

 


大勝利。


視界は開け、光が差し込み世界が明るくなる。


程なくして合格通知が自宅に届き、自分は本当にあの"東京大学"に合格したのだという実感が湧く。さすがは俺。不可能など存在しない。全知全能である。


Twitterで合格を報告するとエゲツない勢いでツイートが伸び、死ぬほどリプライがついた。確かに、この1年間自分はTwitterを頑張ってきたのだということを改めて思い知る。

 


これが二次試験の結果。

 

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総合350.9667点。


100点はあると思っていた数学、得意だと思っていた物理、全然勉強しなかった英語の点は多少アレだが、いざ蓋を開けてみると総合的には物理が白紙でも受かるぐらい余裕をもっての合格だった。

 

ちなみに、これが現役時のセンターと二次試験の結果である。

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酷い。

 

この成長ぶりを見ると、まあそこそこ頑張ったのではないかという気持ちにはさせてくれる。

 


エピローグ


─────あれから2年が経過し、今これを書いている私は未だに大学1年生である。

 

 

 

Twitter

twitter.com

 

 

 

 

浪人の話をするとしよう。(前編)

 

 
浪人。古くは己が地を離れて流浪している人、また主君を失った状態の武士のことを指した。
 
 
そして現代における浪人とは、高校卒業〜大学入学の狭間の無いはずの時空に生きる無職の人間達のことを指す。
 
 
なるほど確かに、彼らは受験戦争を勝ち抜かんとする現代の武士であり、そしてその職に就かず高校にも大学にも属さず居場所を求めて流離う様はさながら原義通りの”浪人”に忠実に従っていると言えよう。
 
 
 
 
そう、あれは何年前だったか。
 
 
東大を志したのは、確か小学校4年生ぐらいの時だっただと思う。
当時は大学と言えば広島大学東京大学しか知らず(地元が広島だったので)、なら日本一だし東京大学にしよう、みたいなそんな軽い理由からだった。
 
 
恐らくその時は自分が世界で一番頭が良いと信じて疑ってなかった時期だったと思う。
俺は世界一だ。なら、世界一たるこの俺に相応しい器は東京大学以外に存在しない。
否、東京大学が俺の器なのではない、俺こそが東京大学を総てやるに相応しい器なのだ。入学してやる、感謝するがいい、と。
 
 
それから特に何をするでもなく年月が経ち高校に入学する。
 
 
高校入学後初の模試、校内で下から何番目とかそういうところに位置していた。
気持ちは中学生のままで、課題はろくにせず、授業の予習もせず、そして教室に存在しても授業も聞かず、テスト勉強というものもせずにテストに突っ込んではクラス最低点を取るような、そんな生徒だった。当然成績も劣悪なものだった。
 
 
しかし自信は全く揺るがなかった。
動かざること山の如し。
根拠の無い自信が自分を支配していた。
 
 
高校3年生の時、4回ほど東大模試を受けた。
 
夏の2回、駿台の東大実戦はE判定、河合の東大オープン模試はD判定。いずれも、最低の判定である。
 
秋の2回、河合の東大オープン模試は夏と同じD判定で駿台の東大実戦もどうせE判定かと思いきや想定外のことが起きる。
 
そう、D判定である。
 
 
 
 
──────────勝った。
 
 
確信した。
 
 
この戦い、俺の勝ちだ。
 
ただでさえ自信がある上に最低以外の判定、”D”が下されたことで慢心はその極みに達する。
 
この時点で脳内では既に勝利のファンファーレが高らかに流れ始めていた。
目を閉じれば瞼の裏には勝ち戦から帰還し凱旋をする自分の姿が映る。
通る道の両脇には湧く民衆。片手を挙げそれに応える俺。
 
 
そう、当時の自分にとって最低以外の判定は全てA判定だったのだ。駿台東大実戦でE判定ではない、D判定をとった、この時点で100%受かると信じて疑わなかった。
 
 
何故かはわからない。わからないが恐らくその根底にあるのは「D判定の時点で一定数自分より下の人間がいる」という思想があったのだと思う。
 
 
そして迎えたセンター当日、39度の熱を出す。
朦朧とする意識の中、追試を受けるか当日受けるか迷った末に解熱剤を飲んで厚着しまくり本試を受けることを決意。
 
 
 
 
無事、死亡した。
 
 
細かい点数は覚えていないが8割ぐらいだったのは記憶している。
 
 
何なのだ、これは。
この世は俺を中心に回っているはずではなかったのか。 
これでは満足に二次試験に臨むことが出来ないどころか足切りの突破すら危ういではないか。
 
 
自身の最強神話が瓦解され、不安がよぎる。
 
 
どうするべきか。どう動くべきなのか。
この後の一手で生死が分かれる。
それまでは理科1類志望だったが流石に危うい。
ここは例年足切り点が最も低く女の子の割合が高い理科2類に志望を変えよう。
そう思い理科2類に願書を出した。
 
 
足切り発表まで戦々恐々とする日々。
東大の公式サイトではその日何人の願書を受理したかを見ることが出来る。
毎日のようにそのサイトを見ては受験生が日々増えていくのを確認し、そして大量に突然死して欲しいと常に思っていた。
 
 
そして迎えた足切り発表日。
 
 
 
 
理科2類………………足切り点無し。
 
 
 
 
 
 
 
 
──────────勝った。
 
 
 
自分が二次試験に臨めること、それは勝利を意味していた。
一応確認してみると、理科1類に出願しているとギリギリ足切りを食らっていた。天才か?俺は。ひょっとすると千里眼持ちなのかもしれない。一体幾つの才能を一身に持てば気が済むのだ、強欲に過ぎるぞこの俺は。
 
 
センターが8割?なあに、それぐらいのハンデぐらいくれてやらないと周りの人間に不公平というものだ。これでも足りないぐらいだ。十分に譲歩してやった結果だ。
 
 
センター8割で東大に受かった人間など見た事も聞いた事も無いが、この俺がその最初の人物となるだけの話よ。何も問題は無い。全てには始まりがあるのだ。
 
 
かの室伏広治は筋肉番付に出演した際、そのあまりにも突出した身体能力を以って2位を大きく突き離し断トツで1位となった。2位以降の選手とは勝負にすらならなかった。以後、室伏広治は筋肉番付を出禁になったという。彼が出演してしまえば、2位決定権となってしまうも同然なのだから。
 
 
 
同じことだ。
この有り余る才能を持て余した俺が受験という土俵に立つ事自体がタブーというものだ。オーバーキル。圧倒的とはこの様を表すために存在する言葉だろう。無慈悲ですらある。
 
 
帝国は活気に満ちていた。そう、D判定を取った時に瞼の裏に映ったあの帝国のことである。
その帝国は政治、戦、司法、治安、民、そのどれを取っても理想の国家であった。盤石とはこのこと。市場は常に賑わい全ての民に富が行き届き皆が満足いく生活を謳歌していた。
 
 
 
 
そして受験当日。東大の正門や正門付近の歩道には大量に人が押し掛けていた。メディアもいた。改めて今日は自分が主人公であることを再確認し、その実力を遺憾なく発揮してしまうことが楽しみで仕方が無かった。
周りの人間が雑魚に見える。ふん、その程度の力量か。得意の千里眼で力量を計る。俺の足元にも及ぶまい。精々励むがよい。
 
 
 
そして受験が終了する。
 
 
 
 
 
 
──────────勝った。
 
 
 
余の完全勝利である。
悠々と宮殿に戻ると合唱隊が凱歌を歌い勝利を祝っていた。
既に宴の準備は始まっている。酒池肉林。
やはり余の手にかかれば受験なんぞこんなものよ。
 
 
そう、ここまで来ると一人称は「余」になるのである。
 
 
最早「俺」ではない。そんな陳腐な一人称なぞ、圧倒的な強者たる余が使うわけがない。
 
 
 
後期や滑り止めなぞ受けるつもりは無かったので合格発表までは悠々自適に過ごした。ヴィクトリーランのようなものだ。
 
 
 
そして合格発表日。ここまで自信が揺らぐことは無かった。
PCを開き発表の正午まで待つ。直前までアニメを見ていたのを覚えている。さて、時間だ。後は自分の受験番号があることを確認するだけの簡単なお仕事。これで広島ともおさらばか寂しいな〜。引っ越しとか入学手続きとか色々忙しくなるな〜。
 
 
ではそろそろ確認するとするか。
 
 
サイトを開く。
 
 
 
さて、俺の番号はどこ─────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────
 
 
 
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…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………?
 
 
 
 
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………え?
 
 
 
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………無い?
 
 
 
 
いや、そんなはずは無い。東大は間違えて昨年度の番号を発表してしまったのだろう。時間が経てば訂正され、合格通知がレタックスで届くはずだ。お茶目な奴だ。愛嬌があるではないか。余が愛でてやるに相応しい。
 
 
そう思いつつパソコンの前から離れることが出来なかった。開いては閉じを繰り返し、自分の受験番号を改めて確認してみたりもした。
 
 
 
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なるほど。そういうことか。
どうも自分は本当に不合格らしい。
 
 
 
絶対と言われた余の帝国の終焉はあまりにも突然だった。
阿鼻叫喚の嵐。
臣民は反乱を起こした。血で血を洗うような内戦が繰り広げられ人々は恐怖に怯えた。
飢えた民は糊口を凌ぐ日々。
貨幣制度の崩壊。
機能しない司法。
暴力が物を言う世界に一変していた。
 
 
 
人は、このようにして浪人するのか。
 
 
 
 
 
 
 
 
まあよい。よいだろう。
そういうことなら浪人してやろうではないか。
特にそこまで落ち込むことも無く即立ち直ることが出来たのは努力出来なかったことの裏返しであろう。
 
 
そう、努力が出来た人間はそもそも浪人などしないのだ。
 
 
いいだろう。
底知れぬ自分の能力というのも知りたかったところだ、この先1年でじっくりと自分の能力を計ってやろうではないか。
 
 
 
帝国の再建が始まる─────。
 
 
 

Twitter社にTwitterやめろと言われた。

先日Twitterのアカウントを凍結された。


私の凍結されたアカウントは高3の大学入試2日目の夜に新幹線で東京から広島に帰っている途中、合格を確信してテンションが上がったノリで作ったものである。半月後に浪人が決定するのだがとりあえずここではそれは置いておく。とにかく、その日から浪人時代を共に過ごし、大学に入っても使い続け、凡そ2年半利用しフォロワーも3600人を超え、そこそこ思い入れのあるアカウントだったのだ。


これはよくよく考えてみると凄いことである。
Twitter社が顧客たるTwitterユーザーに向けて「Twitterをやめろ」と言っているのだ。コンビニに行くと突然店員に追い出された挙句、血相を変えて二度と来るなと罵声を浴びせられるようなものである。レストランに行くと何の前触れもなくシェフに囲まれて帰れ帰れの大合唱。日用品が足りないことを思い出し何気無く足を運んだホームセンターに入ると角材が飛んで来る。
お客様は神様だなどというつもりは毛頭無いが、少なくともTwitterをやめろなどと言われるほどのことをした覚えもない。


否、むしろ私はTwitterに大いに貢献したとさえ言えるであろう。
日々革新的な呟きを世に発信し、その度に世界はその様相を変えた。私の1ツイート1ツイートがこの世を刷新した。意図せずともその一挙手一投足がいちいち世界を左右してしまう。絶大な影響力。
凍結される前の私は確かに、Twitter界を、いや、世界を、牽引していた。世界は、私に牽引されていた。


手に負えない程の影響力を一個人にして手にしてしまった私に恐れをなした政府が裏で手を引いて凍結させたというのは手に取るようにわかる。出過ぎた才能というのも諸刃の剣、時には考えものである。


念のためTwitter社に確認を取ってみると「脅迫するような内容のツイートがあった」とのこと。なるほどそういう建前なのか。恐らく「殺す」とか「死ね」とかのリプが該当するのだろうが、そんなもんただの友達間の冗談だと誰にでもわかる。だがTwitter社はそんなものはお構い無し、通報されNGワードを見つけ次第片っ端から凍結させる。完全にデスクワークの人間の集まりである。現場を知らない。お前友達いないだろ。


Twitterはかつて、コロッセオであった。
「死ね」や「殺す」といった言葉は挨拶のように飛び交っていた。そのような激しい命のやり取りは日常であった。日々血で血を洗い流すような戦闘。剣闘士たるツイッタラーは目を血走らせ、獲物を探し出しては食らいつき、屠った。


確かに危険な時代であった。隙あらばそこかしこで大乱闘が起こっていた。気を抜けば命が奪われる。だが、そこには確かに拳で語り合うノンバーバルコミュニケーションが成立していた。その時代特有の温かさというものがあった。


時代は進み過ぎた。今のTwitterはただの無菌室へと成り果てている。Twitter社は危険を取り除くことに躍起になり、少しでも有害だと判断された者はその世界から摘み出された。確かに、人々の衝突は減った。しかし、そこはTwitter社に徹底的に管理されたディストピア。その世界にいる人間が思想を語ることは許されない。衝突の種となるからだ。


そこには刺激が無い。過度な言論統制
”平和”を求めた先には何が待ってるのか。

 


未来のTwitterに想いを馳せる。
すると、こんな風景が思い浮かぶ


食事は全て完全栄養食たるカプセル。着ているものは白衣のみ。部屋は真っ白。完璧な空調システムにより温度と湿度は常に一定に保たれる室内。窓の外には完全自動操縦となった飛行型の自動車が、天を衝くような高層ビル群の間を縫うように飛び交っている。番号で呼ばれる人々。そう、この世界では個人の存在意義が無くなり名前も無いのだ。政府からその日のスケジュールが送られてくる。国民の行動は国家の中枢コンピュータにより管理されている。完全分業制。彼らは社会を構成するどの歯車かを知らされることもなく生きていく。右手に埋め込まれたチップをかざし、扉が開く。外に出る。今日も1日が始まる。

 

なるほど完璧に合理的な暮らしを実現出来ていると言えるだろう。しかし、人間性のカケラもそこには無い。

 


…あれ、Twitter関係無くね?

ヘルシー志向という反動物的な志向

突然だが、皆さんは”食べること”が好きだろうか。
私は大好きである。少しでも美味しいものを少しでも多く食べたいと常日頃から思っている。常日頃はこれ以外のことを思っていないと言っても過言ではない。

 

私にとって食事の場は神聖な場である。一大イベントである。常に最高のコンディションで食事をしたいし、そのような神聖な儀式をするにあたり不快な言動や行動をしている者を見ると即鉄拳制裁である。即ジャーマン・スープレックスである。それだけ大事だと思っているし、だからこそ私も食事をする際はなるべく他人を不快にさせないよう細心の注意を払っているつもりだ。とにかく私の中で”食”は大部分を占めているということを念頭に入れて頂きたい。


人は何故、食べるのか。


現代では”食”には様々な意義がある。単純に味を楽しむため、その土地の風土を感じるため、おせちや鰻のような風習、コミュニケーションの潤滑剤として使われることもある。


しかし、何か大切なことを忘れてはいないだろうか。
─────そう、生きるため、である。


人の体は口から入れたもので出来ていて、そして人は口から入れたものからエネルギーを得て生活している。
”食”無くして人は生きることなど決して出来ないのである。


”食”における1番の意義は間違いなく生きるためであり、その他の意義は二次的なものに過ぎないのだ。”生きるため”という圧倒的大前提の前に他の全ての意義はただただ平伏す事しか出来ない。あまりにも無力。


しかし、昨今では不思議なことが起こっている。


ふと、スーパーで棚を見るとこのような文言が。


「カロリー50%オフ!!!」

 

カロリー50%”オフ”…?

 

オフ?

 

 

 

 

デメリットではないか?

 


私の解釈が正しければ「カロリー50%オフ」は「カロリーを50%減らした」という意味になる。カロリーが50%減っている。これは間違いなくデメリットではないだろうか。増えているならともかく、カロリーが減っているのだから。

 

人は、食べたものからエネルギーを得ている。
人は、カロリーに生かされている。


食べる物のカロリーが50%オフになった時、人は確かにカロリー50%分、死に近づく。
もしあらゆる食品のカロリーが50%オフになったとしたら、いつも通りのカロリーを得ようと思った時、当然だが倍の量を摂取しないといけない。これは生きる上で非常に大きなデメリットではないだろうか?


生きるための食事のカロリーをオフにするという奇妙な逆転現象が起こっているのだ。


何故、スーパーはそのようなデメリットを誇らしげに掲げるのだろうか。素直だと言えば聞こえは良いが、ただの自虐ではないか。

 


当たり前だが、食べ過ぎた人は運動をしないと太る。偏った食生活は免疫力を下げ、内臓を悪くする。健康寿命も縮むだろう。


ではどうすればいいのか。食べ過ぎなければいいのだ。
何も厳しいことなど言っていない。食べるなと言っているわけではなく、食べ”過ぎ”るなと言っているのだから。


しかし、運動したくないが食べ過ぎたい、でも健康でいたい、太りたくないといった怠惰で傲慢極まりない人がいるから、ヘルシー志向の商品にニーズが生まれるのだ。人を生かすためのカロリーを減らすという反動物的な商品が生まれるのだ。


本来の生きるためという真っ当な目的を持った食事を楽しみたい私のような人間の神聖な領域を、運動したくないが食べたい、しかも太りたくない、健康でいたいという怠惰で傲慢極まりない人間が蹂躙しているのである。


しかも、そのような人間が一定数いるからこそニーズが生まれ、カロリーオフのマヨネーズ、糖質オフの炭酸ジュース、油分カットの唐揚げといった訳のわからない商品が続々と生まれているのである。マヨネーズはカロリーを、炭酸ジュースは糖質を、唐揚げは油を、それぞれアイデンティティとして持っている。にも関わらず、愚かな人類は彼らからアイデンティティを取り上げ商品化する。


そのような商品を買わなければいいという話ではない。
確かに、世はヘルシー志向になっている。
そして、スーパーに行くとそのような商品が大量に並んでいたりする。むしろヘルシー志向の商品に重きに置き、陳列棚を見てもそれが大半を占めていて、しかもそっちの方が安いような商品もある。
レストランやコンビニのホットスナック等でそうされたらこちらとしても選ぶ手段が無い。
ここまで来ると、ヘルシー食品を選ばないようにすればいいとかそういう次元では無いのだ。狭まる選択肢。肩身が狭い。
「当店では揚げものは油分をカットする特別な調理法を採用しています!」じゃあないんだよ。カットしないでくれ。その油分も含めて私は金を払って買っている。


ここから先、このような傾向が続くと思うと怖いのだ。


私は、そのようなカロリーも油も全て含めて食べたいのだ。運動をするため。体を大きくするため。そして何より、生きるため。カロリーも油分も丸ごと愛し取り込みたいのだ。


今一度、”食”を本来の動物的な在り方に立ち返らせ、カロリーオン!糖質増量!!油分マシマシ!!!のような文字列が世の中に溢れかえることを願ってやまない。

けものフレンズ、天地。たつき監督、神。資本主義、科学。

 


はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。

旧約聖書『創世記』より

 

かつて人類は自然とともに悠久の時を過ごしていた。大自然と調和し、人類そのものが自然の一部であり、食物連鎖の歯車の一部であった。まだ科学など無い時代である。人類は二足歩行に始まり、道具を使い始め、集落を作り、耕作を始めた。その過程で人類は知恵という大きな武器を手に入れ、発達させ、種はより繁栄した。

そして知恵を得た人類は様々なことを考える。死生観や天地の始まり、等である。当時の人類にとっては難題であり、またその解を得るにはあまりにも文明は未発達だった。しかし宗教はそれらに明確な説明を与えた。人々は自分達の制御出来ない、認知し得ない事象を司る超自然的な存在、神を崇め奉った。またある時は、悪事を働くと「神が見ている。」「神の裁きがくだる。」といったように、人々は神の視線を感じることによって道徳心を養った。宗教は人類の調和を保つ役割を果たしていたのである。その時、神はまだ人類の手の届かないところにいた。

そして時代は進み、科学が生まれた。その科学は、昔ともに過ごしていた自然に対し牙を剥き、多大なる犠牲を払いながら人々の生活を格段に豊かにした。人口も加速度的に増えていくようになった。また、科学は昔人類が説明し得なかった様々な事象に理論的な説明を与え、あらゆる物事が唯物的にアプローチされた。その結果、人類の知恵は猛烈なスピードで増え、当たり前ながら人類の知らないことはその分だけ減った。

その結果、何が起こったか。神が司る範疇が減ったのである。様々な事象を説明してくれた宗教の役割は減った。人類はかつて神が司っていた範囲にまで手を伸ばし、解析し、研究し、人類のものとしていった。まさに人類は科学をもって神を”殺した”のである。人類の調和を保っていた宗教の果たす役割はかつてのそれより大きく減ったと言わざるを得ないであろう。これが一概に悪いことだと言うつもりは毛頭無い。確かに、人類の叡智は増え生活は豊かになったのだから。ただ、このような犠牲があったことは念頭に入れておかねばならない。

 


時は現代、日本。ここにも1人の神がいた。
────────たつき監督である。
たつき監督という創造神が中心となりジャパリパークという理想郷を作り上げた。

現代日本。TVをつければ暗いニュースが流れる。日本の自殺率は先進国では最悪のレベル。厳しい残業。低賃金。かつてあれ程の栄華を誇っていた日本の富は、もう存在しない。社会人を取り巻く環境は決して良いものでは無かった。そんな時、現実逃避の先としてあまりにも優秀な理想郷が現れた。ジャパリパークである。ここジャパリパークは理想郷と呼ぶにはあまりにも理想郷で、そして非常に理想郷だった。

そもそもジャパリパークとは何か。アニメ「けものフレンズ」に登場する舞台のことである。サーバルちゃんやかばんちゃんといった登場人物達がここジャパリパークでどったんばったん大騒ぎする。ここでは”ヒト化”した動物、通称”フレンズ”と呼ばれる者達が至極平和に暮らしていた。

サーバルちゃんはかばんちゃんのありとあらゆる側面を肯定してくれる。(例:すっごーーい!)何があっても怒らない。(例:そんなことないよ!)非常にIQが低い。(例:わかんないや!)そして、他のフレンズ達もどんな場面でも楽しむ心を持っている。(例:たーのしー!)そしてフレンズ達は助け合う強調性があった。(例:困難は群れで分け合え)
そう、ジャパリパークには現代日本に足りないものが次から次へと現れるのである。全てを肯定する包容力、全てを許す寛容さ、難しいことを考えないラフさ、どんな場面でも楽しむ能力、助け合いの精神…等々。それらは日々を過ごすのに必死で張り詰めていた日本人の心を解きほぐしてくれる。

人々はジャパリパークに助けを求めた。すると、ジャパリパークは求められた助けの分だけ人々に助けを与えた。ジャパリパークは万人に開かれていた。確かに、人はジャパリパークにいる時はフレンズ達に優しく包み込まれ、あらゆることを忘れさせてくれる。ジャパリパークには権力も地位も政治も無い。暴力もSEXもドラッグも無い。彼ら全てが平等だった。日々のトラブルやストレスの原因となるものが一切排除された世界、まさに理想郷。ジャパリパークの平和は未来永劫続くと思われた。

アニメ「けものフレンズ」の放送が終了して半年近く経った。しかしその勢いは未だに衰えるところを知らない。イベントが次々と開催され、コラボ商品が販売され、ニコニコ動画けものフレンズ1話は再生回数1000万回を突破した。”けもフレ”は人々の心の深くに根を下ろし支え続けていた。これは最早宗教と言えるだろう。確かに、けもフレは宗教としての役割を果たしていた。たつき監督という唯一神が作り上げたけもフレという宗教という構図である。私もその熱心な信者の1人だ。

 

しかし先日、この完璧かと思われた理想郷に大きな不穏を生み出す事件が起こった。発端はたつき監督のこのツイート。

 


そのツイートの日付から9.25けもフレ事件とも呼ばれるようになった悪夢。
信者は怒り狂った。何しろ、神が降板されるのだ。一企業など、神の前では取るに足らない存在。何たる不敬。一体何があったのか。

カドカワ側の大まかな主張「ヤオヨロズたつき監督を含むアニメ制作会社)側から8月で辞退したい旨を受けた。また、情報共有や連絡無しの作品利用が見受けられた。」
しかし、辞退したい旨に関してはたつき監督の発言と矛盾し、また作品利用に関しても許可は取っているとしている。そして、かつてたつき監督による2期の作成も確約されていた。

細かなことは当事者以外何もわからない。ファンの間では様々な憶測が飛び交っている。しかし、重要なのはここからだ。ジャパリパークという理想郷に愚かな人間による権利問題を始めとした資本主義が介入した、これが1番の問題なのである。けもフレにおいて、中心となるべきはフレンズ達であり人間の出る幕は無い。

けものフレンズが金を生むためのビジネスとなってしまった。確かに、一制作会社が作り世に送り出した作品だから勿論元々そうなのだが、宗教的な役割を資本主義的な役割が上回ってしまったのが問題なのである。

具体的に何が問題なのか。例えば、もし今後別の監督によるけものフレンズ2期が制作されたとしよう。すると、かつてのジャパリパークに住んでいた信者達の目線はこうなる。「たつき監督ではないジャパリパークに用は無い」「どうせかつてのけもフレは戻ってこないんだ」「たつき監督時代と比べて悪いところを探そう」そう、信者達は疑心暗鬼で作品を見て、あまつさえ粗探しさえ始めてしまうのだ。これで果たして理想郷として機能するのか。結果は明らかであろう。

これは勿論信者にとって悪いことだし、たつき監督本人や製作陣どころか新たな監督にも良いことが何1つとして無い。カドカワの欲しがった作品全体としての利益にすら繋がらないことは火を見るよりも明らかである。誰も得しない。資本主義により理想郷は失われ、たつき監督という”神”が殺されるのである。

先程の神と宗教の例では、これは一概に悪いことだというつもりは無いと述べた。しかし、これに関しては凶悪であると強く主張する。今回のこの件との相違点は何か。舞台である。神と宗教が科学によりその役割を減らしたのは現実世界であり、しかし人々は豊かさを手に入れた。だが資本主義によりその果たす役割を減らされたジャパリパークは理想郷であり、そして誰も得をしていない。ここが1番の相違点であり問題である。理想郷なので資本主義も科学も必要無いのだ。

このように、多くの人間達が理想郷としていたジャパリパークに資本主義が関わることにより、瞬く間にその理想郷としての役割を減らした。資本主義は確かに人々の生活を豊かにしたがこれを理想郷に持ち込むことは愚の骨頂である。ありとあらゆる場面に資本主義が介入している裏ではこのような実害も出ていることを知らねばならない。今日、私達は資本主義に対する考え方を改めないといけないのかもしれない。

自己紹介:世界的なブロガーになりました。

 
前回、私の圧倒的な語彙力、他の追随を許さない表現力をもってして書かれた記事はバズりにバズりまくって瞬く間に80億PVを突破し、書籍化を始め、世界中で翻訳、TIME誌にも掲載されるなど華々しいブロガーデビューを果たした。世界的なブロガーとなった私の書く記事は世界中が注目し、世論を決定づけ、為替レートを変え、世界地図を塗り替え、今後の世界の行く末の手綱を握っているのはもう周知の通りだ。今後は、FBIに捜査協力し世界の巨悪を暴き、国連からの依頼で世界各国の戦争、内戦を停戦協定へと導く予定だ。世界から紛争は無くなり平和が訪れ、敵のいなくなった人類の焦点は科学の発展へと向けられ新たな技術革新が起こる─────予定であったのだが、初日に500PV、現在までで凡そ600PVといった次第でまずまずのデビューとなった。一体何が足りなかったのか。いや、足りなかったといえば79億9999万9400PVであり私に足りないものは無かったといって差し支えないだろう。
 
ちなみにこれは自慢だが、1日あたりのブログのPV数が500を超えるとこれは個人ブログとしては上位3%に入るらしい。初日にしてこれを達成した私は控えめに言ってブロガーとしての才能があるだろう。もっと早く始めるべきであった。なお、Twitterのフォロワーが3500人を超えているのに、ブログのリンクを貼ったツイートをしても600PVしかいかなかったことは決して触れてはならない。
 
前回、自己紹介すらせずにいきなり書き始めてしまった。いや、自己紹介が一番最初の記事でいいのであろうか。書きたいことありきで始めるのがブログでは無いのか。ブログでまず最初に自己紹介をしている人はこれから書くことを探そうとしている感じがある。しかし、私レベルになると書くことは探さなくてもそこに”ある”のだ。何なら出来事の方から書かれに私の元へとやってくる。故に、今後もわざわざ書くことを探すようなことはしない。ひたすらに、そこにただ私に書かれることを待っているだけの有象無象を文字に書き起こすだけである。
 
ブログを始めた経緯だが、Twitterの140字では長文を書きたい時に足りないと思っていたので常日頃からブログを始めたいとは思っていた。だがどうにも面倒でずっと何もしていなかった。契機が欲しかった。しかし、FGOというゲームをインストールし、感情を失った。誰かに知って欲しかったが、それを語るには140字ではあまりに少なかった。めんどくさがりやの私の背中を押すには十分だった。あれから時間が経ち、感情を徐々に取り戻し今ではFGOを楽しむプレイヤーの1人となっている。ニトクリスちゃん可愛い。 
 
 
私自身の自己紹介のことをすっかり忘れていた。
広島出身、母校は日本最難関、広島市立基町高等学校
現在は東京大学の理科2類に所属している。
高校卒業から3年が経過したが何故か未だに大学1年生である。時空を歪めるほどの”力”。どのようにしてそのような力を得るに至ったのか、その禁忌とも言える方法は気が向けばそのうち書くかもしれない。
 
ではこの辺で。