駄文

徒然草の下位互換です。

自己紹介:世界的なブロガーになりました。

 
前回、私の圧倒的な語彙力、他の追随を許さない表現力をもってして書かれた記事はバズりにバズりまくって瞬く間に80億PVを突破し、書籍化を始め、世界中で翻訳、TIME誌にも掲載されるなど華々しいブロガーデビューを果たした。世界的なブロガーとなった私の書く記事は世界中が注目し、世論を決定づけ、為替レートを変え、世界地図を塗り替え、今後の世界の行く末の手綱を握っているのはもう周知の通りだ。今後は、FBIに捜査協力し世界の巨悪を暴き、国連からの依頼で世界各国の戦争、内戦を停戦協定へと導く予定だ。世界から紛争は無くなり平和が訪れ、敵のいなくなった人類の焦点は科学の発展へと向けられ新たな技術革新が起こる─────予定であったのだが、初日に500PV、現在までで凡そ600PVといった次第でまずまずのデビューとなった。一体何が足りなかったのか。いや、足りなかったといえば79億9999万9400PVであり私に足りないものは無かったといって差し支えないだろう。
 
ちなみにこれは自慢だが、1日あたりのブログのPV数が500を超えるとこれは個人ブログとしては上位3%に入るらしい。初日にしてこれを達成した私は控えめに言ってブロガーとしての才能があるだろう。もっと早く始めるべきであった。なお、Twitterのフォロワーが3500人を超えているのに、ブログのリンクを貼ったツイートをしても600PVしかいかなかったことは決して触れてはならない。
 
前回、自己紹介すらせずにいきなり書き始めてしまった。いや、自己紹介が一番最初の記事でいいのであろうか。書きたいことありきで始めるのがブログでは無いのか。ブログでまず最初に自己紹介をしている人はこれから書くことを探そうとしている感じがある。しかし、私レベルになると書くことは探さなくてもそこに”ある”のだ。何なら出来事の方から書かれに私の元へとやってくる。故に、今後もわざわざ書くことを探すようなことはしない。ひたすらに、そこにただ私に書かれることを待っているだけの有象無象を文字に書き起こすだけである。
 
ブログを始めた経緯だが、Twitterの140字では長文を書きたい時に足りないと思っていたので常日頃からブログを始めたいとは思っていた。だがどうにも面倒でずっと何もしていなかった。契機が欲しかった。しかし、FGOというゲームをインストールし、感情を失った。誰かに知って欲しかったが、それを語るには140字ではあまりに少なかった。めんどくさがりやの私の背中を押すには十分だった。あれから時間が経ち、感情を徐々に取り戻し今ではFGOを楽しむプレイヤーの1人となっている。ニトクリスちゃん可愛い。 
 
 
私自身の自己紹介のことをすっかり忘れていた。
広島出身、母校は日本最難関、広島市立基町高等学校
現在は東京大学の理科2類に所属している。
高校卒業から3年が経過したが何故か未だに大学1年生である。時空を歪めるほどの”力”。どのようにしてそのような力を得るに至ったのか、その禁忌とも言える方法は気が向けばそのうち書くかもしれない。
 
ではこの辺で。
 

FGOというゲームを始めた。感情と引き換えになるとは知らずに。

 

 

虚無。

ただただ虚無。

 

 

今私は大海原にいる。波の音に混ざって頼りない小舟からは小さな揺れに合わせて軋む音がする。濃霧が立ち込めていて周囲は見えない。どこに向かっているのか、どこから来たのかさえもわからない。しかし焦りや怒り、悲しみといったものは一切無い。感情が無いのだ。いや、正確には失ってしまったと言うべきなのかもしれない。わかっていることは、乗っている小舟がどこかに進んでいるということだけだ。ここはどこだ。どうしてここにいるんだ─────。

 

 

今やFGOのプレイ人口というのは凄まじいものがある。Twitterを開くと1スクロールで1ツイートは絶対にFGOのプレイ画面のスクショが現れると言っても過言では無い。そのツイートのTLに占める割合から恐らくフォローしている人の7割はFGOをプレイしていると思われる。否、FGO関係のツイートをしない人、そもそもツイート自体ほとんどしない人のことも考慮すると9割は下らないだろう。世は大FGO時代である。

 

FGO…”Fate/Grand Order
あまりにも多くの人間がその魔力に惹き寄せられ、また数万円を当たり前のようにつぎ込むほどに魅了されてしまう。その魔力とは一体。

 

FGOを始めたきっかけは、「身の回りのFGOプレイヤーが数万円の課金が当たり前の世界に住んでいるので絶対にFGOは始めないぞという気持ち。」(うろ覚え)というようなツイートをしたことにある。すると、生粋のFGOer達が食い付いてくる。「今は期間限定でガチャがたくさん引けて〜」「今始めると星4のキャラで好きなのが選べて〜」「俺は課金せずに今までやってきて〜」。彼ら彼女らのそのプレゼンに、いつしか私は心を奪われていた。一体何が彼らをそうさせるのか。”FGO”とは。

 

それでも数日間は悩んだ。果たして始めていいものだろうか。しかし自制心が好奇心に負けた時、気がつくとインストールしている自分がいた。確かめてみよう。

 

そもそもFGOとはどのようなゲームなのか。始めて間も無い私がめちゃくちゃ簡単に説明するとこうなる。
”主人公がサーヴァントと呼ばれる者達に指示をしていい感じにしていくゲーム”
あまり多くを語ると知識が無い現時点ではボロが出てしまうかもしれないのでこうとしか言えない。とにかく、(恐らく)凄く魅力的な作品なのである。

 

FGOを始めるにあたり、1つの目標を立てた。
「どうもマーリンというサーヴァントが最強らしい。この世界ではトップに君臨しているマーリンが暴政を敷いていて、他のサーヴァント達を顎で使える立場にあるらしい。マーリンの言う事は絶対で、逆らう者がいようものなら容赦無く磔にされるらしい。そして今はこのキャラが出る確率が高いらしい。そうなったらもう選択の余地は無い。マーリンが出るまでリセマラをしてこの世界の唯一神となりこの世界を蹂躙しよう。」

リセマラをご存知だろうか。リセマラ=リセットマラソンの略。多くのゲームでは、始めると同時にガチャを引いて様々なアイテムや味方を手に入れるできる。そのままゲームを続行しても良いのだが、いかんせんガチャを引くには課金が必要だったり無課金でも引ける頻度が低かったりする。そのため、ガチャの引きが悪かったりした時にアンインストールして再びインストールし、ガチャをする。これをガチャの引きが良くなるまで続ける。およそ一期一会などという概念とは無縁の行為である。そこには何としても出会わなければいけないという執念がある。

 

早速、インストールして始めてみる。すると、すぐにゲームデータのインストールが始まる。これが結構長い。というか、アプリをインストールした時点で入っとけよ。まあ寛大なのでこれぐらいのことは眼を瞑ろう。ゲームスタート。模擬戦がある。なるほど、ここで戦闘の方法を体に染み込ませてから戦場に送り込んでやるということか。粋な計らいじゃないか。序盤からマシュという可愛い女の子が登場して主人公を色々リードしてくれる。これ以上の説明はゲームの内容に深く関わってくるので割愛する。是非インストールしてその目で確かめて欲しい。今回書きたいのはそこでは無いのだ。

 

いくつかクエストをこなすとガチャを引くことが出来るようになる。確かに、チュートリアルガチャで10連、通常ガチャを10連引けた。現在は「1000万ダウンロード突破記念」らしい。何が1000万ダウンロードだ。実際のプレイ人数はその何分の1だ?1人当たりのダウンロード回数は?と小言を言いながらも新たな世界に足を踏み入れることに心を躍らせている自分がいたのも事実だ。

 

早速引いてみる。様々なサーヴァントや概念礼装といったものが出てくる出てくる。他の人のツイートで何度も見た画面だ。不思議な気持ちである。私自身、初めてプレイするのにお馴染みの画面なのだ。「英霊召喚」、「概念抽出」といった見慣れた文字が現れる。案外あっさりマーリンを引いて終えるつもりだった─────が、出なかった。1回目のリセマラ、20連の終了である。どうという事は無い。まだ1度目なのだ。

 

しかし、ググってみるとどうもまだリセマラは終わりではないらしい。引いたサーヴァント達を生贄にもう1度ガチャを引くことが出来るという。”霊基変還”という残酷なシステムである。むごい。むごたらしい。サーヴァント達はセリフこそ違えど皆、意気揚々と登場してくる。これから頑張ろうと意気込む者、協力してやらないこともないけど?みたいな態度を取る者、奇声を発する者、はたまた無言の者、違いはあれど各々その目には光がある。希望がある。来るべき運命に立ち向かわんとする意志が見て取れる。少なくとも、そのように感じる。しかし、彼らに対し主人公は残酷な決断を下す。そう、”霊基変還”である。具体的に何をやっているのかは私にもわからない。しかし、サーヴァント達はその”霊基変還”という行程を経て”マナプリズム”という物体にされてしまうのだ。目を閉じれば、泣き叫びながら黒服の男2人に奥の部屋へと連れ去られて行くサーヴァント達の悲鳴が聞こえる。瞼の裏にはその後ろでほくそ笑んでいるマーリンの姿が見える。しばらくすると小さなお盆のような物に乗せられて”マナプリズム”が運ばれてくる様子がありありと浮かぶ。それは最早サーヴァントではない、意思の無い”物”と化していた。動かない。喋らない。彼らは”霊基変還”をされる時、一体何を思い何を感じたのか。そしてそのような尊い犠牲を払って得たマナプリズムを20個集めると呼符と呼ばれるものが手に入る。

 

f:id:physics1090:20171002213032p:plain

この”くべる”という動詞は”薪をくべる”の”くべる”と同義なのだろうか…。

この呼符でもう1度だけガチャを引くことが出来る。しかし、これもマーリンでは無かった。今度こそ1度目のリセマラが終了した。色々と思うことがありながらも、アンインストールし再びインストールした。リセマラ2回目突入。今度こそ、と思ったがこれもマーリンが引けない。渋々アンインストール、インストール。3回目、引けない。アンインストール、インストール。4回目、5回目………。

 

最初は、ストーリーも全部見てた。期待に胸を膨らませてガチャを引き、その行く末を見守っていた時期もあった。

 

だがこれを繰り返しているうちに、気が付くと、怒りを覚えていた。FGOに対してではない。自分に対してである。リセマラを繰り返しているうち、やめようかと思うこともある。しかし、リセマラをやめるのは即ちそれまでリセマラに費やした時間を無駄にするということである。すると、そもそも何故FGOを始めてしまったのかということになり、それは過去の自分に対する怒りとなる。何ということをしてくれたのだ。

 

もう良い…マーリンじゃなくても良い。星5であればリセマラを終えよう。そう思い始めた。

 

もう何度繰り返しただろうか。同じ光景の繰り返し。指の動きの無駄は一切無くなり最適化されてきた。当然、そこにゲームを楽しもうという意識が介在する余地は無い。効率至上主義。最短最速。資本主義。いかに短い時間で最大限の効果を得るか。未だにマーリンはおろか、星5すら出ない。

 

そして、更にこれを繰り返すと怒りすらも無くなった。怒りに意味が無いと自身で気が付くのだろう。そのうち、この行為に感情を抱くことそのものに意味が無いという境地に達する。虚無の到来である。


いつしか全ストーリーはスキップ。インストールする。開く。データダウンロードをする。模擬戦。名前を決める。クエストを通して2戦。チュートリアルガチャ10連。またクエスト。通常ガチャ10連。サーヴァント達をあの世に送る。尊い犠牲を払って1回ガチャ。アンインストール。この一連の作業をすることにいつしか感情が無くなっていた。漫画を読みながら、小説を読みながら、映画を見ながら、ドラクエ11をしながら、PSPファイナルファンタジーをしながら、片手間でやるようになっていた。

 

そもそもFGOを始めたと言って良いのかどうかすらわからない状況である。これは始めたと言って良いのだろうか。永遠に物語の最初の最初を繰り返しているだけではないか。始まりのある森羅万象には終わりがある。だが、この作業における終わりとは何なのだろうか。マーリンを引くことか?じゃあマーリンを引けなかったら終わりは無いということか?それは森羅万象の理から外れてないか?始めるって何だろう…?始めるとは…と哲学的な自問自答を繰り返しながらも手は勝手に動いている。もちろんそこに意思は無い。ただ、引くのである。

 

1%の確立で星5が出るらしい。本当だろうか。もう数百という規模でガチャを引いている。受け入れ難い不運。
先人曰く─────”10連引く金でアフリカの子供達が10連引ける”。
また先人曰く─────”当たるまで引けば100%当たる”。
どちらもかつて私が実際にTwitterのTLで見かけた言葉である。今ならわかる。彼らは偉人である。私のような人間では到底辿り着けない領域に、彼らはいる。彼らをしてそこまで言わしめるFGOとは。そして何が彼らをそこまでの高みに引き上げたのか。今の私にはそれを理解することすら出来ない。完全に雲の上の人物達だ。

 

先日、とうとう夢の中でマーリンを引いた。文字通り「夢にまで見た」マーリンとなってしまった。私にはあまりにもその存在が遠過ぎた。

 

果たしてこの先に何があるのか。そして何かに達した時、私は何を得て、何を思い、何を考えるのか。

 

皆もこの過程を経てFGOをプレイしているのだろうか。

 

 

行き先も意思も無い虚無の海へ、今日も漕ぎ出す─────。

 

Twitter

https://mobile.twitter.com/physics_1090