駄文

徒然草の下位互換です。

浪人の話をするとしよう。(後編)

 

physics1090.hatenablog.com

 

 

以下、徒然なるままに書いたのでまとまりの無い文章になってしまったが推敲するモチベも無いのでこのままにする。


ここからは具体的に私がどのような浪人生活を送ったかを書いていく中で浪人の”闇”を浮き彫りにしていきたいと思う。

 

 1章 浪人のメリット


浪人するにあたり、2つ目標を立てた。目標は大事だ。志の高い理想の浪人生像。
・絶対に「浪人して良かった」などと言わないこと。
・毎日腕立て伏せを100回すること。


後者については、とりあえずせっかく浪人するんだから毎日何かしらのことをしようと思ってのことだ。友達の家に泊まろうが、入試でホテル泊しようが、これだけは遵守した。


前者についてだ。
当時、自身が浪人生の身分でありながら浪人生は全員クズだと思っていた。いや、明確な目標を持ちながらそれを達成するのに計画的に事を成せなかったという点では実際にそうかもしれない。浪人生である時点でその人にはまず決定的に計画性が足りてないのだ。


そして、その”なりたくなかった”浪人生に自分がなってしまった以上、「浪人して良かった」と言ってしまうことは一種の防衛機制、自己正当化になってしまうと考えたのだ。


何と意識の高い気高き浪人生なんだろう。素晴らしい。

 

 

結論から言うと、浪人時代は最高だったと言う他無い。
メリットを上げていくとしよう。パッと思い付くだけでこれだけある。


・単位が落ちない。
いくらサボってもここでは留年の類は存在しない。浪が重なるだけの話だ。


・人間関係が希薄。
これまた私にとっては非常に居心地の良い環境だった。特に新たに友達を作ろうとするわけでもなくたまに同じ高校の人間と会う、そんな日々だった。


・1年働かずに済んだ。
親の脛を齧ることになってしまうが、それはそれ。1年働かなくて済むようになったというメリットは多少のデメリットなど目を瞑れるほどに大きい。
浪人や留年をすると生涯年収が減って〜みたいなことをぬかす輩がよくいるが、それは大間違いである。モラトリアムを伸ばし働く期間を短縮することが出来たのだ。人間は金を稼ぐために生きるわけではない。そんな資本主義が生んだ化け物は勝手に一生働いていて欲しい。

 

・模試で簡単にA判定が出る。
大学に落ちたにせよ、多少は合格に向けて勉強をしていた身だ。当たり前である。上位数千人は皆大学に入ってしまったのだ。現役生など大半が雑魚だ。決して自分の実力が上がったわけではなく母集団全体のレベルが下がっただけなのだが、恐ろしいことに自分は余裕で合格するものだと錯覚していた。

 

 

このような環境でぬくぬくと浪人をしていた。それは最高と言わざるを得ないであろう。

 

しかし、浪人も良い事尽くめではない。
多少のデメリットも勿論ある。

 



2章 Twitter


毎日生きてるのか死んでるのかもよくわからないような生活を送っていた。
浪人時代の記憶などほとんど無い。
日々を惰性で過ごしていた。


駿台に行き、教室に存在し、自習室へ行き、寝る。気が向いたら勉強をし、腹が減ったら帰宅する。
変わり映えの無い日々。
出来事が無い。
夏期講習や冬季講習も2,3個ほどしか取らなかったため授業の時間が格段に減った。その代わり、夏と冬はとにかくよく寝て過ごした。

 

本当に日々イベントが無かった。
来る日も来る日もとにかく退屈だった。


あまりにも暇過ぎて狂ったように円周率を覚えまくった時期もあった。


そんな退屈を紛らわせてくれたものがある。
Twitterだ。


現役時の入試直後、合格を確信しテンションが高かった帰りの新幹線でアカウントを作り、始めたTwitter


暇さえあればTwitterに興じる日々。浪人の1年間、Twitterだけは頑張れたと胸を張って言う事ができる。


あまりにも金太郎飴のような日々にスパイスを与えてくれるTwitter。毎日鬼の形相でタイムラインを追い、森羅万象をツイートしていた。今思えば異常である。気が狂っていた。


「今日も暑いなぁ」
そう思った次の瞬間には手元にある手のひらほどの体積を持つ直方体のデヴァイスに備え付けられた画面にその旨を書き込み”Tweet”と書かれた長方形に指を当てては、インターネットを通じて世界中に「「「今、この俺が暑いと思っている」」」という現象を発信していた。そのプロセスに自分の意思が介在することはなく、無意識的に、かつ無機的にその作業は行われた。文字通り息をするより容易く、そして一瞬でその一連の動作は行われていた。


しかし、その当時の自分としては革新的で唯一であると思われたTwitterにもノイズがあった。


そう、大学生のツイートである。
彼らはあまりにもキラキラしていた。眩しかった。直視出来なかった。


世界が、違う。


あまりにも世界が違った。Twitterを通じて目に飛び込んでくる、今の自分とはかけ離れた、同じ生物種の、同じ国籍の、同じ世代の人間であるということすら疑われる、著しく対照的な生活達。


それらはあまりにも”””生活”””だった。


「生活」とは「生きる活動」と書いて「生活」である。


今の自分は果たして「生活」していると言えるのだろうか。
死んでいないだけではないか。「生きる」という作業に能動的に取り組んでいると堂々と言えるのか。もちろん答えは「ノー」だろう。


Twitterを開けば人生を謳歌している大学生のツイート群。新居が決まった旨の報告。履修登録というものが複雑らしい。近所に美味しいお店があるらしい。こいつはもうイツメンなるものが出来たのか。サークルの新歓とやらに行くと必ず『◯◯先輩面白過ぎ😂😂😂』とツイートするよう強要されるのか……?


自分が入れなかった大学という施設は実に不思議に満ちていた。全てを知らなかった。当然だ。受かったことがないのだから。


未だ見ぬ大学という未知の世界を垣間見て、そこにいたはずの自分の虚像を思い浮かべては虚無に浸る。


しかし人間の慣れというものは凄くて、Twitterを続けていると5月頃には既に慣れていた。Twitterは戦場だ。これぐらいのことでフェードアウトしてしまうような心の弱い浪人生など、戦場では足を引っ張るだけの存在だ。強い者だけが、生き残る。結局、浪人時の入試を終えるまでTwitterをやめることは無かった。強い者だったので。

 


3章 自習室


偉いのでほぼ毎日予備校の自習室に通っていた気がするが、夏は冷房が、冬は暖房が強過ぎた。そしてしばしば轟音を立ててイビキをかいて寝ていた(らしい)ため周囲からの視線も痛い。あまりにも静か過ぎるため居心地も悪い。


そのうち自習室のあまりにも秩序立った雰囲気に耐えられなくなり、最上階にあるフロンティアホール、通称”フロホ”と呼ばれる休憩室のようなところに入り浸るようになる。ボッチで。


そこは自習室からクズを隔離するために存在すると噂される場所だったが、狭苦しく静か過ぎる自習室よりは遥かに居心地が良く、漫画を読んでようがTwitterをしてようが菓子食ってようが爆睡してようが誰にも文句を言われなかったのでこっちの方が自分にとっては極めて快適だった。


たまに騒がしかったがそこまで大きな問題では無かった。騒ぐ集団が現れるたびに「お前らなんか落ちればいい」と心の中で思いながら自分はTwitterをしていた。今思えば完全に同レベルである。否、一緒に騒げる友達がいるという点ではむしろ彼等の方に軍配が上がっていただろう。

 

4章 浪人時代の思い出

 

ふと思い出したのだが、やはり浪人生というのは人間的に問題を抱えてる人が多いような気がする。


模試の後にはクソ簡単な問題でも解法を大声で自慢してたり、模試の返却のたびに大したこともない成績を大音量で周囲の人間に聞こえるように発表したりする人間がいてとにかく耳障りだった。


印象に残っている人がいる。


毎日慶応医学部の赤本と「ハイレベル理系数学」というそこそこ難易度が高いらしい参考書を持ち歩いてた人がいた。
ただ持ち歩くだけなら別にいいのだが、何と彼は参考書群を抱える時には必ずこの2冊のうちいずれかの表紙が外側に向くようにしていた。
偶然かと思っていたが、自習室で彼を見かけると必ず机の上にこの2冊のうちいずれかが一番上に乗ってる参考書の山を机の上に築いていた。


そう、彼は自分の持っている参考書で自分のレベルを誇示しようとしていたのである。


誰であろうとどこでも志望出来るしどんな本でも持つことは可能なのに所持する本で自分を大きく見せようとしてるその必死は実に滑稽であった。


先述のフロホでTwitterをしていたら彼が真後ろに座った。ちょうど、壁に向かった席に座る私の真後ろにある円卓に彼が座ったような構図だ。


ふと見てみると、ラックを持ち出してせっせと参考書をセッティングしている。そしてその一番外側には件の2冊。彼はとうとう自己顕示に道具を使い始めていた。
一体何が、どんな環境が彼をこのような化け物にしてしまったのか。


そして慶応医学部の受験日、私はいつも通り駿台に行っていたのだがどういう訳か彼もいた。あの赤本は本当にフェイクだったというのか。

 


後日談だが、彼は当時2浪目でその後3浪目に突入したらしい。

 


そんなこんなで日々が過ぎる。

 


ある日、駿台で階段を降りていたら後ろから2人組の女の会話が聞こえてきた。
「2つ隣が『囚人』でさ〜」
ふと振り返ると、その子は私の2つ隣の窓際の席に座っていた子だった───────────────。

 


5章 勉強について

 

多少は勉強に関する話も書こう。


する勉強は9割ぐらい数学と物理に振っていた。
大学不合格という出来事は、嫌なことはやりたくないという高校以前からの性分を変えるには至らなかった。
その程度の出来事、俺という存在の前にはあまりにも些細過ぎたということだ。


しかし、この2科目だけはそれなりに頑張れたと思う。
「月刊 大学への数学」の学力コンテスト、通称「学コン」を毎月やって提出し、毎月名前が乗るようにしていた。インターネットで数学コンテストの問題を漁って解いたり数学オリンピック対策用の数論の本を買って解いたりしていた。今思えば数学はかなり精力的に勉強していたと思う。


しかし、こんな勉強をしていたので当然他の科目は酷いものだったのだがそれは後程書く。

 

 


6章 受験、そして浪人の終わり


ここまでに書いたような生活を送る浪人生がまともな成績など取れるはずがなかった。
怠惰な浪人生活がたたり、12月のマーク模試で600点台を取ってしまう。


浪人開始以来、初めて焦った。4回の東大模試では余裕でA判定を叩き出し、このまま自分は順当に受かると思っていた矢先の出来事だった。
さすがにヤバイと思い、1ヶ月ほどそれなりにセンター対策をやった気がする。


そしてセンター前日、金曜ロードショーで「天空の城ラピュタ」を見てパズーとシータに合わせて「バルス!」とツイートし、ラピュタの崩壊を見届けて寝床につきセンター当日を迎える。


センター試験会場までチャリで10分ほどだった。ギリギリまで寝て会場に向かった。


かなり近所の会場で、周囲は多少の浪人生と残りは地元の高校生達で占めていた。


センター本番はとにかく素早く解いて周りの現役生にプレッシャーをかけることを目標に、特に緊張することもなく挑むことが出来た。


結果は以下の通り。

f:id:physics1090:20180323023501j:plain

リスニング抜きで総合777点。

 

20分で解いて満点を確信した数1Aと受験後ですら9割を切らないと思っていた化学とそこそこ伸びたと思っていた地理が悲惨だが他の科目は順当かそれ以上といったところ。

 

特に国語では自分の実力では信じられないほどの高得点を取ることが出来た。

浪人してこの点かよと思う人も多いだろうが、マーク模試でも現役〜浪人を通して一度たりとも770点すら超えたことが無かったので許して欲しい。むしろ、健闘したと称えられて然るべきだろう。


それにしても化学62点は受け入れ難過ぎて5回ほど自己採点をやり直したのを今でも覚えている。未だに自分よりセンター化学が低いという人間に出会ったことがない。

 

まあ色々あったが総合して順調な滑り出しだったと言えるだろう。

 

 

特に何が起こるでもなくそのまま二次試験まで日々が過ぎ、当日を迎える。


受験本番はどうも緊張しない性分らしく、センターと二次試験で現役、浪人と合わせて4回受験をしたが全てリラックスして臨むことが出来た。


しかし、受験後の心境は現役時のそれとは大きく異なった。


とにかく不安で仕方がなかったのだ。一度落ちてるのだ。受かった自分の姿は微塵も想像できなかったし、落ちたらバイトを始めて予備校には通わず有料自習室に通うという具体的な2浪目のプランまで練っていた。


がしかし、めんどくさいので私大は受けず後期の勉強も1秒もしていなかった。合格発表までは、どうせ3月は遊ぶから金が必要だろうと日雇いバイトを入れまくってとにかく金を稼ぎまくっていた。


そして迎えた合格発表日。


長いようで実際長かった浪人の1年。

何もなかった1年。

ただただ虚無が支配した1年。

しかしながらとにかく楽だった1年。


この1年のことを思い浮かべながら合格発表を待つ。


例年、東大は合格発表を正午"頃"としており現役時は11:50頃の発表だった。


11:45頃から待機しurlを貼り何度も再読み込みをする。

 

─────長い。


世界一長い数分間。


自分の鼓動の音がやけに大きい。

 

思えばこの1年の浪人生活頑張れただろうか。
そんなはずはない。どう考えてもただのゴミニートの生活だった。
いや、あれはあれでお前なりに頑張ったんだ。お前の性格ではあれが限界だった、大丈夫だ胸を張れ。


無用の自問自答が繰り返される。

 

刹那、サイトが開かれる。


凄まじいスピードで脳は目から入ってきた視覚情報を処理、分析し瞬く間に合格受験番号一覧へと辿り着く。

 

 

 

 

 

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────勝利。

 

 

帝国は再建された。


暗黒の時代は過ぎ去り、帝国は活気を取り戻す。


干上がっていた大地には草が生い茂り、小鳥が戻ってきて囀る。


そこかしこで工事の音が響き渡る。臣民の声が聞こえる。

 

 


大勝利。


視界は開け、光が差し込み世界が明るくなる。


程なくして合格通知が自宅に届き、自分は本当にあの"東京大学"に合格したのだという実感が湧く。さすがは俺。不可能など存在しない。全知全能である。


Twitterで合格を報告するとエゲツない勢いでツイートが伸び、死ぬほどリプライがついた。確かに、この1年間自分はTwitterを頑張ってきたのだということを改めて思い知る。

 


これが二次試験の結果。

 

f:id:physics1090:20180323023432j:plain

総合350.9667点。


100点はあると思っていた数学、得意だと思っていた物理、全然勉強しなかった英語の点は多少アレだが、いざ蓋を開けてみると総合的には物理が白紙でも受かるぐらい余裕をもっての合格だった。

 

ちなみに、これが現役時のセンターと二次試験の結果である。

f:id:physics1090:20180330190105j:plain

酷い。

 

この成長ぶりを見ると、まあそこそこ頑張ったのではないかという気持ちにはさせてくれる。

 


エピローグ


─────あれから2年が経過し、今これを書いている私は未だに大学1年生である。

 

 

 

Twitter

https://mobile.twitter.com/physics_1090