駄文

徒然草の下位互換です。

Twitter社にTwitterやめろと言われた。

先日Twitterのアカウントを凍結された。


私の凍結されたアカウントは高3の大学入試2日目の夜に新幹線で東京から広島に帰っている途中、合格を確信してテンションが上がったノリで作ったものである。半月後に浪人が決定するのだがとりあえずここではそれは置いておく。とにかく、その日から浪人時代を共に過ごし、大学に入っても使い続け、凡そ2年半利用しフォロワーも3600人を超え、そこそこ思い入れのあるアカウントだったのだ。


これはよくよく考えてみると凄いことである。
Twitter社が顧客たるTwitterユーザーに向けて「Twitterをやめろ」と言っているのだ。コンビニに行くと突然店員に追い出された挙句、血相を変えて二度と来るなと罵声を浴びせられるようなものである。レストランに行くと何の前触れもなくシェフに囲まれて帰れ帰れの大合唱。日用品が足りないことを思い出し何気無く足を運んだホームセンターに入ると角材が飛んで来る。
お客様は神様だなどというつもりは毛頭無いが、少なくともTwitterをやめろなどと言われるほどのことをした覚えもない。


否、むしろ私はTwitterに大いに貢献したとさえ言えるであろう。
日々革新的な呟きを世に発信し、その度に世界はその様相を変えた。私の1ツイート1ツイートがこの世を刷新した。意図せずともその一挙手一投足がいちいち世界を左右してしまう。絶大な影響力。
凍結される前の私は確かに、Twitter界を、いや、世界を、牽引していた。世界は、私に牽引されていた。


手に負えない程の影響力を一個人にして手にしてしまった私に恐れをなした政府が裏で手を引いて凍結させたというのは手に取るようにわかる。出過ぎた才能というのも諸刃の剣、時には考えものである。


念のためTwitter社に確認を取ってみると「脅迫するような内容のツイートがあった」とのこと。なるほどそういう建前なのか。恐らく「殺す」とか「死ね」とかのリプが該当するのだろうが、そんなもんただの友達間の冗談だと誰にでもわかる。だがTwitter社はそんなものはお構い無し、通報されNGワードを見つけ次第片っ端から凍結させる。完全にデスクワークの人間の集まりである。現場を知らない。お前友達いないだろ。


Twitterはかつて、コロッセオであった。
「死ね」や「殺す」といった言葉は挨拶のように飛び交っていた。そのような激しい命のやり取りは日常であった。日々血で血を洗い流すような戦闘。剣闘士たるツイッタラーは目を血走らせ、獲物を探し出しては食らいつき、屠った。


確かに危険な時代であった。隙あらばそこかしこで大乱闘が起こっていた。気を抜けば命が奪われる。だが、そこには確かに拳で語り合うノンバーバルコミュニケーションが成立していた。その時代特有の温かさというものがあった。


時代は進み過ぎた。今のTwitterはただの無菌室へと成り果てている。Twitter社は危険を取り除くことに躍起になり、少しでも有害だと判断された者はその世界から摘み出された。確かに、人々の衝突は減った。しかし、そこはTwitter社に徹底的に管理されたディストピア。その世界にいる人間が思想を語ることは許されない。衝突の種となるからだ。


そこには刺激が無い。過度な言論統制
”平和”を求めた先には何が待ってるのか。

 


未来のTwitterに想いを馳せる。
すると、こんな風景が思い浮かぶ。


食事は全て完全栄養食たるカプセル。着ているものは白衣のみ。部屋は真っ白。完璧な空調システムにより温度と湿度は常に一定に保たれる室内。窓の外には完全自動操縦となった飛行型の自動車が、天を衝くような高層ビル群の間を縫うように飛び交っている。番号で呼ばれる人々。そう、この世界では個人の存在意義が無くなり名前も無いのだ。政府からその日のスケジュールが送られてくる。国民の行動は国家の中枢コンピュータにより管理されている。完全分業制。彼らは社会を構成するどの歯車かを知らされることもなく生きていく。右手に埋め込まれたチップをかざし、扉が開く。外に出る。今日も1日が始まる。

 

なるほど完璧に合理的な暮らしを実現出来ていると言えるだろう。しかし、人間性のカケラもそこには無い。

 


…あれ、Twitter関係無くね?

 

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